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2009年1月

2009年1月31日 (土)

またまた相撲のこと

Wakakirin 十両力士・若麒麟が30日、大麻取締法違反容疑の現行犯で逮捕された。この関取をよく知らないが、弁護士を通じて拘置所から引退届けを出したという。

相撲協会の処分が決定していないので、そのまま受理されることはないだろう。解雇か除名か、その方法は詳しくないが、ゴタゴタ続きの角界にまたひと騒動である。

私見では、大麻もタバコも喫煙に関しては大差ないように思う。禁止されたものだから、社会規範に沿って判断すれば、悪しきことという程度の認識しか持っていない。ただ麻薬は精神を高揚させる魔力があり、身体を蝕む恐ろしさがタバコに比べて高いはず。

若い世代の私生活の乱れは枚挙に暇がない。関取の世界でも同じなのは、横綱を見ても明らかである。私が心を痛めるのは、往年の名力士が頭を下げる姿である。

Oguruma 尾車親方は、元大関の琴風である。NHKの解説でなじみの人だから、相撲に関心のない人でも顔を見れば分かる。やや舌足らずの話し振りにもかかわらず、解説は実に分かりやすく的確で、「この人は頭のいい人だ」と常々感心していた。

ネットの情報では、中学まで体育以外はオール5だったとか。怪我で幕下まで落ちたことがあり、這い上がって活躍したのは、本当に嬉しかった。誠実さがテレビ解説でも、じゅうぶん伝わってくる人だ。

こんな人がマスコミの前で、大きな体を曲げて謝罪する場面を見ると、親方ではないが「ぶん殴ってやりたい」と思う。

武蔵川理事長は、元横綱三重ノ海。クンロク大関と批判され、遅咲きながら横綱まで上り詰めた。立会いに張り手を使うのが上手く、相撲巧者だった。柏戸・大鵬の時代から観戦している身にとって、親方衆の悲しい顔を見るのがつらい。

しかし角界の伝統も、彼らが悪しき慣習を払拭せず、むしろ頑迷に固執してきたからこそ起きた。大鵬など21歳であれだけの風格を持ち、いまだ博物館の館長として確固たる地位にいる。

やくみのる氏のいうように、徹底した体質改善が必要な時期に来ている。 ココにNHK解説委員・山本浩氏の発言が載っているので、一読してほしい。この一文は外国人力士に関するものだが、角界が抱える問題への解決のアプローチが記されている。 山本氏は、とくにサッカーへの造詣が深いが、スポーツ全般に詳しいNHKアナウンサー出身である。

追記:

地位は人を作る(磨くあるいは鍛える)もの。番付1枚違えば待遇がガラッと変わるのは競争原理を高めるシビアな制度で結構なことだ。しかし、番付なりの品格が備わらなければ、意味がない。権利を行使するには義務を遂行しなければいけない。他山の石にしよう。

2009年1月28日 (水)

朝青龍のこと

Asasyouryuu 話題の人、朝青龍である。休場明けの見事な優勝だが、勝負がついた後のダメ押しやこのガッツポーズに批判が集まっている。

品格の問題、というわけである。これも、というべきか本人の想像力の欠如に起因する。言い換えれば、相手の立場に立って物事を見ることができない、ということだ。

ヒールとして人気のある横綱も珍しいが、これまでの素行も含めて、この品格問題だけは、引退するまでつきまとうだろう。

しかし、床山さんを大事にする横綱。本当は心優しいと思う。悪役呼ばわりされるにつれて四面楚歌になり、勝ちゃあいいだろ、とヤケになっているように見える。

Untitled 私は、ダメ押しのほうを危惧する。琴欧州戦だったか、左フックが空振りに終わった。当たっていたら、あの端正な顔が歪んでいた。ベテラン大関にはこんなことはしない。

若手にめっぽう、つらく当たるような気がする。年齢に関係なく、番付も度外視して、もっと堂々と、能面のような顔をしながら内に闘志を秘めるようなタイプになってほしいが、それは「できない相談」。横綱に残された時間は、そう多くない。人気商売だから、こうなれば、徹頭徹尾押し通すのも手である。

品格のある大関は勝ち越しがやっとの状態だから、新鋭の台頭を待つしかない。眼下の敵が少ないから、増長もする。しょせん、28歳の若者である。とんとん拍子に出世した力士が頂点を極めれば、驕りは生まれる。

現在の社会と同じで角界も例外ではない。だいいち、一国の総理が「さもしい」だの「ざらには」だの、言葉遣いも知らないのだから、ヒール横綱ばかり責める気も起こらない・・・。

2009年1月25日 (日)

マンシーニなどCD3枚を聴く

Mansini2_2 ヘンリー・マンシーニのベストセレクション(全25曲)を聴く。「Moon River」で始まり「Lost Of Love」(映画『ひまわり』の主題曲)で終わるマンシーニの70年代までのベストアルバムである。

嬉しかったのは、いつぞや書いた『暁の出撃』(J・アンドリュース、ロック・ハドソン主演)の主題歌『Whistling Away The Dark』が入っていたことである。『酒とバラの日々』『ナタリーの朝』などもそうだが、必ずユニゾンのコーラスが入っていて、映画のバックに流れる装飾品のものでなく、1つの独立したポップスとして聴き応えのある曲に仕上がっているのが素晴らしい。

逆に『小象の行進』(Baby Elephant Walk)や『ピンクパンサー』前述の『ひまわり』といったインスツルメンタルもあり、こちらは楽器の特徴を見事に引き出し、効果音としての映画音楽になっている。

Photo 『男と女』も借りてきた。これはフランシス・レイの名品である。映画も大好きだが、バックに流れるスキャットがなんとも言えず心地よい。高校生のころ、クラシックに飽きて、しばらくFMで映画音楽を専門雑誌でチェックしては録音し、それを聞きながら自宅で夜毎、友人と麻雀ばかりしていた時期があった。

Elvis 『エルビス・オン・ステージ』。これも映画音楽だが、実際はスタジオ録音のものも3曲くらい入っている。1972年というから、やはり中学・高校の時期である。映画館で観たその足でレコード屋に行き、このLPを買った。いまでも手元にあるが、聴き過ぎて擦り切れている。

そんなにお気に入りでなかったエルビスを好きになったのは、この映画を観てからである。特にS&Gの『明日に架ける橋』は絶品である。『オンステージ』はこの他に2枚ある。1974年だったか全世界で同時生中継されたハワイ公演など、テレビの前でかじりついて見た記憶が蘇る。

2009年1月13日 (火)

『僕のピアノコンチェルト』を観る

Vitus 出だしに私の大好きなシューマンのピアノ協奏曲が流れてきただけで、良い映画の予感がした。ピアノコンチェルトは、チャイコフスキー、グリーク、ラフマニノフとこのシューマンが好きである。この曲は20年前にアルゲリッチ(オケは忘れたが指揮者はロストロポービッチ)のLPを買い、何度も聴いた。

主人公のヴィトスは作品で描かれているとおり、テオ・ゲオルギューという若きピアニストだそうだ。観ていると、どうも指の動きと顔の表情が一致している。普通、吹き替えがあるから鍵盤での手の場面と顔は別に撮影しているのが一目瞭然なのに、この映画に限ってはそんなシーンがなかった。

Vutus3あとで調べてみると、テオ君は2年前に来日してコンサートを開き、神童振りを発揮したらしい。ピアノの腕はともかく、演技も素晴らしい。子役の子供も上手かったが、何をやってもうまい人はいるものである。

Vitus2                                                 

祖父役を『ヒトラー ~最期の12日間~』の名優ブルーノ・ガンツが演じていて、いい味を出している。 最近のドイツ(これはスイスの作品だが、ドイツ語だった)映画は好調のようだ。『4分間のピアニスト』(これもピアニストだ)も良かった。

話の筋は、後半やや奇想天外な方向に流れるものの、娯楽作品として及第点。クラシック好きには、ラベルやリスト、バッハなどもう少しじっくり聴きたい感じもするが、質の高い映画といえるのではないか。

いつも思うのだが、子役の演技力(大人もそうだが)は日本映画は著しく低い。古くは二木てるみや江木俊夫など上手い子役がいたが、知る限り最近見かけない。

                                                  

2009年1月10日 (土)

大学ラグビー決勝戦

090110 10日の決勝戦。帝京-早稲田、20対10で早大が15回目の優勝を飾った。ワセダの試合巧者ぶりが随所に見られたゲームだった。心情的には初優勝を目指す帝京を応援しながらTV観戦した。

ワセダの攻撃に対する帝京のディフェンスが少し甘かったのは、FW戦で優位に立てなかったためなのか。防御線をわりと簡単に抜けられるシーンが見られた。早大の研究の成果かもしれない。これぞ伝統の力である。さすがと感心するほかない。

レフリーの試合進行に少し疑問が残った。同じ反則を続けたらシンビン(10分間の退場)というのはルールに沿ったジャッジだろうが、このところ高校から社会人の試合をいくつか見てきて、これほどシンビンが出た試合はあまりお目にかかっていない。

数的優位の状況での攻防の差が勝敗を分けることになった。公平な判断だろうが、レフリーによって温度差があり過ぎるのは考えものだ。大目に見ろとは言わないが、3人の退場者が出たことで試合も荒れた展開になり、好試合とは思えなかった。

近年のラグビーは、レフリーが試合の流れを作る傾向にある。笛ばかり吹かず、適切に選手を導き、アドバンテージのまま試合を止めないようにする。レフリングの巧拙がゲームの面白さを引き出すもとになっている。

また今年から試験的に採用されているルールも、観客の目線に立ったものといえるかどうか。聞けば、ラグビーのルールが毎年のように変わるのは、ディフェンス対応が進み攻撃的なラグビー(点取り合戦)が少なくなったことへの反省からきているらしい。

ところで、またまた早大・豊田主将に渇っ! である。試合終了後のインタビュー。あの「ヤバイ」とはいったいなにか? それも2度。自分が主将でいいのか悩んだと吐露したところは素直だったが、受けを狙った発言には、口あんぐりである。

アナウンサーは真面目に質問していた。それを関係者しか意味が分からないようなことを再三口にする態度は、早明戦後のコメント同様、心底がっかりした。プレーヤーとしては申し分ないのに、この姿勢はなんだろう。名門大学、名門チームのスタープレーヤーとしての自覚がまるでない。

勝てばそれでいいのか。清宮前監督時代から、ワセダは徹底的に強いチーム作りを目指した。その結果、行き過ぎた勝利優先主義がはびこり、人間教育をないがしろにしてきたように思う。これはワセダに限ったことではないだろうが・・・。

驕れるれるものは久しからず。こんなことでは、ワセダ黄金時代は早晩終わる。

2009年1月 5日 (月)

『題名のない子守唄 』を観る

Daimei 『ニュー・シネマ・パラダイス』で有名なジュゼッペ・トルナトーレ監督の2006年作品。この人の映画にしては珍しくサスペンス調で、当初の小1時間程度は、話の展開が読みにくい。画面に釘付けになるのは、主演女優クセニャ・ラポポルトの美しさによるところ大。ロシアの実力派女優らしいが、初めて観た。スタイルが抜群で、長身。

それでも、脚本は巧みに編まれている。フラッシュバックという映画技術だったろうか、過去と現在を交錯させながら、次第に驚愕の事実が明らかにされていく。

女性にはつらい思いが残るシネマかもしれないが、同時に業の深さを抉り出しているとも言える。

監督はおそらく、ヒッチコックを念頭に入れていたのではないかと感じた。ジワーッとする気味の悪さが一瞬にして怖気を催す場面に変わる。『サイコ』だったろうか、緊張感をかもし出す独特な効果音(BGMかもしれないが)など、スリラーの巨匠にヒントを得たシーンが散見された。

デ・パルマなどはヒッチコック信奉者を自認しているくらいで、彼の作品にはパクリとさえ思えるような場面が随所に見られる。

この人も相変わらず、期待を裏切らない監督である。寡作の監督は失敗が許されないだけに、1作にかける集中力が必ず結実するのかもしれない。『マレーナ』も良かったし『海の上のピアニスト』もいい。『パラディソ』が最上だが、この映画も一見の価値ありである。

2009年1月 1日 (木)

2009年スタート

Dsc_0090 新年が明けて30分というところである。今ごろ、左のような神社の境内は人だかりがしていることだろう。これは一昨日撮影したものだが、大晦日の前日は、ガランとしたものだった。

Dsc_0130 陽だまりのなかで、子供たちが遊んでいる。この歳くらいまでは、よく家族で出かけたものだが、息子は名古屋で年末年始は仕事、娘は就職先探し、カミサンはパートで、ここ数年来、正月は普段の日と変わりない。それはそれで、大いに満足している。淡々と過ぎていく。それに優るものはない。年末は飲み過ぎた・・・。

Dsc_0118 一段と寒くなり、何の木だか知らない(花や木、虫の類の名をホント、知らなくて困る。それでも物書きかと恥ずかしくなるが、不幸にも仕事であまり必要がないのだ・・・)が、針葉樹のように今年も長く細くの生活になるのだろうか。

今年は、身辺が忙しく、また重くなると思う。練り上げた計画を実行に移す時がきているのである。首尾よくいかなければ、そのあとが大変きついことになるようなことだ。年明けから、その計画は早くも動き出す。正念場である。

と、少し重たい話を告白したあとにズッコケるが、今年の我がホークスはどんな戦いを見せるか。最下位からのリスタートである。若手の成長に期待しよう。

このブログも4年目を迎えた。知人に勧められて始めたが、とにかくも継続は力なりという。こんな駄文でも、覗いてくれる人がいることを忘れずに続けていきたい。

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