2009年8月 9日 (日)

ETC普及のための制度

E004  お盆休みで、街に人が繰り出している。道路も混雑し、人の多いところが嫌いな当方は、部屋で仕事をしたり、ギターを弾いたりしている。

 ここ最近、更新していない。野球のブログは試合があるたびに書き込んでいる。こちらでなにか良いテーマはないかと思案しているが、ETC割引制度を思いついた。

 麻生内閣の景気刺激策の一環で今年3月から始まったと記憶しているが、小生の中古車に車載器は付いていない。なぜETC車だけ割引が適用されるかと言えば、事務合理化によるリストラで経費を削減し、メーカーとの癒着で得るキックバックが背景にあるのは間違いない。

Etc003  道路公団も、この先、行政法人改革により、いまのままでは行き詰る。そこでセッセと新機軸を打ち出しているのだろうが、ETCなど果たして必要なものだろうか。

 友人と連れ立ってゴルフに行くとき、ETCをつけている車が先導してくれるが、迷うことしきり。昔ながらに、ゴルフ場の地図を脇に置いてチラチラ目をやる当方と変わるところがない。

 それから、今年の自動車税が1割高いのには、もっと腹が立った。10年以上乗っている(新車から7年以上?)セコ車はエコ対応していないからと言う。エコカーは逆に1割引き。結局、財源(税収)確保の帳尻合わせだ。

 エコポイント制度に地デジTVが入っているのも、露骨。物を大切に使っている者が馬鹿を見る制度は、地球に優しくても人にはつらくあたる・・・・。

 

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2009年1月 1日 (木)

2009年スタート

Dsc_0090 新年が明けて30分というところである。今ごろ、左のような神社の境内は人だかりがしていることだろう。これは一昨日撮影したものだが、大晦日の前日は、ガランとしたものだった。

Dsc_0130 陽だまりのなかで、子供たちが遊んでいる。この歳くらいまでは、よく家族で出かけたものだが、息子は名古屋で年末年始は仕事、娘は就職先探し、カミサンはパートで、ここ数年来、正月は普段の日と変わりない。それはそれで、大いに満足している。淡々と過ぎていく。それに優るものはない。年末は飲み過ぎた・・・。

Dsc_0118 一段と寒くなり、何の木だか知らない(花や木、虫の類の名をホント、知らなくて困る。それでも物書きかと恥ずかしくなるが、不幸にも仕事であまり必要がないのだ・・・)が、針葉樹のように今年も長く細くの生活になるのだろうか。

今年は、身辺が忙しく、また重くなると思う。練り上げた計画を実行に移す時がきているのである。首尾よくいかなければ、そのあとが大変きついことになるようなことだ。年明けから、その計画は早くも動き出す。正念場である。

と、少し重たい話を告白したあとにズッコケるが、今年の我がホークスはどんな戦いを見せるか。最下位からのリスタートである。若手の成長に期待しよう。

このブログも4年目を迎えた。知人に勧められて始めたが、とにかくも継続は力なりという。こんな駄文でも、覗いてくれる人がいることを忘れずに続けていきたい。

2008年12月31日 (水)

2008年ブログ回顧

今年は56本を投稿した。ジャンル別には映画、スポーツ、政治経済、日記で6割を占める。仕事のことは書かないことにしているので、趣味に限られる。

『嗚呼 ソフトバンクホークス』を4月に立ち上げた。こちらはセッセとシーズン中に書き込んでいた。3日と置かず更新していたが、王監督の退任と最下位の現実に、筆は鈍り10月でほぼ閉鎖状態になった。

今年もっともショックだったのは、3月のPCクラッシュ。IBMの「Aptiva47」(?)を99年に購入して以来、ゲートウエイのノート『SOLO3400』(これは、あるルートから新古品をただ同然で入手)、HPの『MT/CT』(いま娘が使っている。これは静音で気に入っていたが、セレロンなので買い替えた)、HPの15インチノート、富士通のLOOX(これも、あるルートを通じて半値で入手。しかし半年で売却)に続いて、DELLの『Dimention9150』。

6台目にして初のクラッシュだが、PC通に言わせると「10年で6台使って初めてというのは奇跡に近い」と言われた。機械は壊れるようにできているということか。

3月5日のココにあるので、詳細は省く。この8年間書き溜めた原稿のうち半分を消失した。じつに痛い。記事が載った媒体は全部保管しているものの、諦めがつくまでしばらくかかった。復元ソフトを使って探しても、復旧率は2割もいかなかった。バックアップを取ることの大切さを知らされたが、PCへの依存度がいかに高いか再認識した。

書籍では帚木蓬生に出会えたのは良かった。藤原伊織も面白い。その他色々読んだが、この2人に止めを刺す。映画では先日見た『幻影師アイゼンハイム』、『Vフォー・ヴェンデッタ』、『三たびの海峡』の3本。

政治経済では、相変わらず政治屋の発言には辟易。言及するほうが悪いとさえ言いたくなる。ここを開設して3年が過ぎようとしているが、心ないコメントも時々やってくる。差別発言の類以外のコメントは消さないようにしているが、1度は目にしなければならないのはつらいし、頭にもくる。心ない人に心を求めても無理だから、努めて平静を保つだけである。

 

2008年8月 7日 (木)

タモリの弔辞

Tamori 漫画家・赤塚不二夫が2日、亡くなった。小生は『おそ松くん』以来の読者である。その活躍はいまさら賞賛する必要もない。

赤塚不二夫のもうひとつの業績は、タモリを発掘したことである。

そのタモリが弔辞の挨拶に立ったというので読んでみた。この人はやはり頭のいい人だ。寝ずに一生懸命考えて、師に哀悼を捧げたのだと思う。実にいい語りである。

タモリを初めて見たのは『徹子の部屋』という番組だった。そのときはキリストの真似事のようなコントをやっていて、あまり面白くなかったが、その後、例の4カ国麻雀などで注目されたりして、あっという間に大物になった。

『笑っていいとも』なる番組は、1度も見たことがないが、本人にしてみれば生きていくための仕事と割り切っているのだろうから、低俗といわれようが構わないはず。

赤塚がタモリを発見したエピソードも、いまや知る人ぞ知る話。深夜番組も、聴く歳ではなかったが、大学のときだったが、偶然つけたらタモリの『オールナイト・ニッポン』がかかった。

そして、突然博多弁だけでしゃべり出し、それは番組終了まで続いた。すぐに消すつもりが、とうとう終いまで聴いてしまった。とてもフラストレーションがたまっているようだった。田舎者が突然脚光を浴びて、成り上がっている。そんな自分に腹を立てているようでもあった。当方が20代だから、タモリは30そこそこの売り出し中だった頃か。

―私もあなたの数多くの作品の一つです。

弔辞の結びである。

2008年6月19日 (木)

老人の会話は愉快だった

Asakusa1 知人に会う用事があり、浅草に行った。時間があったので早めに着いて浅草寺の周りを歩くことにする。思えば上京して30年。「どうせ東京で住むことになるから」と、通っていた高校では私を入れて2人が修学旅行の参加を見合わせた。

そんなことで、一度も浅草見物をしたことがなかった。もとより東京の名所巡りなど縁遠いのだが、実物?を見るのも勉強である。

Asakusa2_2 人通りが多い。平日の午後3時でこれだから、休日はもっと混雑するだろう。雷門までは、人を掻き分けるのがいやで行かなかった。仲見世通りなども遠慮して店の裏道を歩く。

歩きつかれて喫茶店に入る。店の女将がタバコは吸うかと聞くので頷くと、奥の6つほどの席の一角に座る。周りの客は70歳前後、なかには80に手が届く老女もいて、その数20人。いや話に花が咲いている。壮観である。

「池辺良は好きだったねえ。あたしゃあんないい男みたことなかったよ」

「池辺良はもう死んだかねえ?」

「あらやだ、まだ生きてるよ。殺しちゃ駄目だよ、ダハハハハハー」

「でもこの店はカサブランカか」

「違うよ、モンブランだよ。さっきからおかしいねえ。もう耄碌したかい!」

いや笑顔のいいこと。男女2人ずつ計4人の会話はその後も続き、このまま耳をそばだてていたかったが、約束の時間が近づいた。

意味もなく嬌声を発し、でかい声でバカ笑いをやめない若者が嫌いな小生。愉快な時間を過ごさせてもらった・・・。

2008年6月 8日 (日)

ジャズ喫茶でのこと

Jazz 過日、ポカンと時間が空いたので、久しぶりにジャズ喫茶に入った(左の写真は関係ありません)。道すがら、その先にあることを思い出したからである。天候悪く客は少なかった。

傘を差して歩いた分だけ、少し体がほてっていた。しかし、もう年も年だから最近は努めてアイスコーヒーは頼まないようにしている。

思いついてリクエストを頼んでみた。ある女性ボーカルの名盤である。手を挙げるとアルバイトと思しき女性がアルバムの在庫冊子を持ってきて、ここから指定しろと言う。やっと見つけて、一服しようとすると、マスターらしき男性がやってきた。

私が頼んだ曲は、いまかかっているのとは趣が違うので無理だという。ほかの客のことも考えてほしい。雰囲気を壊しかねないリクエストは応じられないと説明した。そして、在庫冊子はもとのところに自分で戻してくれと言った。

そのときかかっていたのは、ジャイアント・ステップス。演奏者はコルトレーンではなかったと思うが、その次もビバップ系といったらいいのか、スタンダードだった。

店主の言うことももっともだと思ったので、リクエストは断念したが、冊子はもって来てくれたのだから、そこまで言わなくてもと、少しムッときた。しかし、気分転換にここに来たわけだから、ザラッとした気分は味わいたくないと我慢し、いわれるままに従った。

マスターは、私がトイレに立つときに言い訳をしたが、私はもう気にしていなかった。30分ほど眠りに落ちた。と、さっきの女性が、断られたアルバム(CD)を持って目の前に立っていた。これでいいかと聞く。リクエストした曲がかかった。

4曲ほど聴いて、席を立った。勘定をし終えて店主に礼を言う。わだかまりは、向こうのほうにあったのだろう。こちらにもないとはいえなかったが、礼を返してきた。私はその人を間接的に知っている。

そのことを告げようかとも思ったが、言わなかった。店主にも矜持があるように、こちらにもある。常連ツラはしたくないし、知人をダシにするようなことも言いたくなかった・・・・。

2008年6月 6日 (金)

メロンパン

Tobasu先日、所用で都バスに乗ったときのことである。平日の午後6時30分過ぎ。JRのターミナルを出発したバスが、3つ目の停留所で女子高校生の2人を乗せた。私は最後部の席にいた。斜め前に2人が席に仲良く座る。まだ入学したての15歳くらいだろうか。顔はあどけない。座席は乗客でほぼ埋まっていた。

1人がカバンからポリ袋を取り出した。メロンパンが見えてくる。お腹の空く時間である。半分に分けて食べるのだろう。微笑ましい光景を想像した。

ところがである。メロンパンの持ち主は、親指と人差し指の2本で、つまむようにして2センチ四方の大きさに千切り、それを2切れ渡しただけだった。もらったほうは、礼も言わず黙って手のひらで受け、最後の1粒まで残さず舐めるように腹に収めた。

唖然とした。

友達、という言葉は死語になったのだろうか。空腹なのはお互い様のはず。どうして自分だけ余分に食べようとするのだろう。そのケチくさい根性に暗い将来を見た。

2008年5月28日 (水)

船場吉兆

Kittyou マスコミの餌食にされたとは言え、使い回しなど、普通の家庭でもそうそうやらないことを平然とやるのだから、この先、客が足を運ぶことはあるまい。小生はこの店で食したことはないが、廃業は遅きに失したというべきだろう。

大学時代、メシ代を浮かせて金を貯めるために、夏、冬、春の長い休みには、バイトは飲食関係しかやらなかった。いまも東京・新宿にある三平ストアの食堂(ここは和洋中なんでもあるので、バイトも店の中で異動があった!)や中野サンプラザの地下1階のレストランなどである。

そうした大衆食堂のような飲食店でも、客が手をつけなかったからと、改めて盛り付けに使うような外道はしなかった。なぜなら、食中毒などを起こされては衛生局から営業停止を食らうからだ。食い物屋の業務停止処分だから、これは1日でも堪える。

関西の商魂、船場の商売道に暗いが、関西でなくとも、通用する話ではない。年寄りを責めるに忍びないが、この婆さんはチト酷い。いちばん許せないのは、料理長や支店長、パートなどに責任をかぶせていたことだ。

ほかの、たとえば金融業界ならば、昨年の時点で取り潰しだったはず。オーナー企業すべてがこうとは言わないが、えてして一族経営とは、こういう代物であろう。

2008年5月11日 (日)

教師という職業

こんな記事があった。少し長いが引用する。

小4担任、「一番嫌われている人」募り公表 生徒が提訴
2008年05月10日(アサヒ・コム)

 小学校時代の担任教師がクラスで嫌いな人のアンケートを取り、一番嫌われている人として実名を公表したために級友からいじめられて精神的な苦痛を受けたとして、千葉市内の男子中学生とその両親が、千葉市を相手取り、約1千万円の損害賠償を求める訴えを千葉地裁に起こしていたことが10日、わかった。「いじめが始まった後に学校側が十分な対策をとらなかった」と主張している。

訴えによると、05年4月、当時千葉市立の小学校4年生だった男子生徒の担任教師が、クラス内で「好きな人と、嫌いな人」の実名を全員に書かせたとされる。教師が1週間後に、公表するかどうか子どもたちから多数決をとったうえで一番嫌われている人としてこの男子生徒の名前を発表。これを機にクラスメートからいじめを受けるようになったという。男子生徒は約1年半後に、別の市立小学校に転校した。

 千葉市教育委員会は「事実関係を調べているが、係争中なのでコメントできない」としている。

小学校4年生のころ、私はこの生徒とは逆に、先生から「えこひいき」されていた。誤解を生む言い方ではあるが、教師も人の子。好き嫌いはある。また生徒をうまく使って円滑なクラス運営をしたい気持ちがある。

私を含めて3人が先生のお気に入りだった。2人はクラスで最も成績のいい男女で、私はガキ大将だが成績は上の下くらい。お山の大将というやつで、放課後にやる野球のメンバーでも、敵味方の別やポジション、打順まですべて私の一存だった。

しかし弱い者いじめをする奴は許さなかった。部落差別をするものは鉄槌を浴びせた。母子家庭だからといやみを言う者も容赦しなかった。そんなガキが昔は1人や2人必ずいた。私が特別だったわけでもない。

教師もまた、私に言わせれば一部の不心得もいたが、このときの先生は、いまでも感謝の念に堪えない。「えこひいき」といっても皆の前では決して差別しない。ただ、3人を残して、絵画コンクールや感想文コンクールへの代表として参加するために、よく放課後に居残りを命じられた。ものを書く仕事をしているのは、そのころから育まれていたのかもしれないと思う。

さて冒頭のニュースだが、報道が事実だとするならば(ここが一番肝心なのだが)、教員免許剥奪である。「好きな人と、嫌いな人」を書かせる意図が間違っているし、実名というのもいくら学校内といえども、個人情報保護の点でコンプラ違反である。

またそれを多数決で生徒に選ばせる感覚が悲しい。後先考えずとはこのことである。シミュレーションのできない者は、どんな職業に就いてもアジャストしない。

でもしか教師、といわれたのは、もう数十年前である。教師の就職枠も、いまだ厳しいと聞く。それでこんな教師がいると言うのは何故だろうか?

熱血先生は学校に必ずいたものだが・・・・。

Water_lilies

2008年4月 1日 (火)

変な事件

Photo 先月だったか、こんな事件があった(記憶が定かでないので詳細が誤っていたらお詫びする)。

交通違反取り締り中にスピード違反をした運転手に免許停止の反則切符を切ろうとしたら、その男が「仕事ができなくなって収入の道を絶たれるから、違反を軽くしてくれ」と警官に罰則の軽減を懇願したところ、警官は不憫に思って、免許取り上げにならない程度の違反切符を切った。

ところがその男は何を思ったか、所轄の警察署に出頭し、事の次第を自白したというのである。おかげで、情けをかけた警官は処分されることになった。

このニュースを聞いて、ちょっとびっくりした。そんな情のあるお回りと、その情けを台無しにした愚かな男の両方に対してである。

私は20数年車に乗っており、原付バイクも入れると、35年の免許歴がある。こんなお目こぼしを頂戴したことは、ただの一度もない。暗がりに隠れて些細な違反でもしょっぴいて手点数稼ぎをする悪徳警官以外、お目にかかったことがない。違反そのものも、5回程度だから少ないほうだろう。

生活の糧を絶たれるというその男の話に同情し、臨機応変に対応した警官を批判する向きもあろうが、決して非難されるべきものではないと思う。

問題は、ゲロしたこの男だ。いったい何を考えて出頭したのだろう。反省するなら、最初から黙って切符をもらっておけば済んだものを。そんなことをしたら、見逃してくれた警官に累が及ぶことぐらい理解できなかったのだろうか?

下らない話といえばそれまでだが、とても後味の悪いニュースだった。

2008年3月14日 (金)

きぼう?

Kibou 興味のある人には大変申し訳ないが、宇宙の話にまったく関心がない。以前、2年ほど某企業のクライアント向け雑誌の取材・執筆の仕事をやっていた時期があって、つくば市にある宇宙開発機構(だったか・・・)に入ったことがある。

この「きぼう」の準備をしていたころで、人工衛星の追跡を管理するようなシステムの話だった。それまでに生産管理やら原価計算やらのシステムを記事にしたが、正直に言ってよく理解しないままに書いていた。

書き手が理解しないで書いた記事は、編集者が手を入れないと読めたものではない。編集者はこちらをなだめすかして書き直させるのだが、この宇宙の取材のときは、さすがにお手上げだった。

編集者の指示もよく分からないのである。これは、こちらに関心がなく耳に入ってこないからだと思う。いくら聞いても、分かりましたといえない。たしか、そのときの取材でこの仕事を降りた。

兄はまったくこの逆で、この手の話になると話しかけても見向きもしないほど熱中する。いまでも、週末になると、どこかの大学でこの手の講演を聴きに行っている。

私がこれまで熱中したのは、クラシックギターをおいて他にない。だからこそ、この年になるまで弾けるのである。

書くことを生業にしている者にとって、好奇心の湧かないものを書かされることほど、つらいものはない。

きょうも「きぼう」の話でニュースはもちきりだ。貴重な仕事なのだろうが、私にとっては20日から開幕するパリーグペナントレースのほうが、何倍も気になる・・・・。

2007年12月30日 (日)

MYブログで見る07年回顧

Kouryou MYブログのヒット数から、今年を回顧してみる。最も多かったのが8月22日、夏の甲子園大会、佐賀北VS広陵の決勝戦。広陵の野村投手が投じた2球(3球)の判定について。

私は、野村君のあの表情や捕手の悔しがりようから見て、ストライクと感じ、またスロービデオを見てもそのように思い、誤審とコメントした広陵の監督を支持した。

コメントを結構いただいた。私は、高校野球といえども、納得のいかない判定の場合、理由を聞くくらいの事があっても良いと書いた。判定は覆らないのだから、聞いても無駄という意見もあろうが、ラグビーなどではジャッジに対して選手が理由を聞いているシーンをよく見かける。

公立高校で進学校の佐賀北とスポーツ校の広陵を安易に比較した論調もマスコミなどで取り上げられた。これはおかしい。運動能力の高さは知能のそれに劣るものではない。また頭を使わないスポーツはない。有能なスポーツ選手はおおむね知能も高いはずだ。ただ学力として表れないのは、勉強していないからに過ぎない。

これに関連して『特待生制度』も、いくつかコメントをもらった。成績の良い生徒を授業料免除で入学させるのと、どこが違うのか。私学の学校経営は企業活動。公立でも生徒の士気高揚や人気回復のために、越境入学を許容している。秀でた者を優遇するのは、特段悪いことでもなかろう。世の中には、そんなことに比べたら、無数の悪弊があるではないか。

001_005_002_0l 次に多かったのがクラシックギターの話に対してである。10代のころに満足なギターが買えず、いまになってやる気が再燃した御仁が多いからだろうか。

それとも、30年近く最近のギター界に疎い小生を珍しがってくれたのか。アクセス数は少なくなかった。『タブ譜』について書いたら、「偉そうに・・・」とお叱りを受けた。確かにそうだが、そんなものがついていない頃に悪戦苦闘してひとつひとつ音を拾っていった昔が台無しにされたようで、どうにも気分が悪かった。

だいいち、『タブ譜』があるおかげで、楽譜は高くなるしスペースを取る。2枚で収まるピースが4枚になる。

Pcbh50099 映画も反応が多かった。特に今年もイタリア映画に夢中になった。フランス映画がハリウッド化している(と思うのだが)いま、生き様を頑固なまでに真摯に描くこの国の映画は、いつまでもその誇りを忘れないで秀作を作り続けてほしいと思う。

今年は『兵隊ヤクザ』『悪名』の両シリーズを制覇したのも収穫だった。勝新は、やはり稀代の役者である。

Mizuta そして、わがソフトバンクホークスだ。水田が打たれたこの逆転2ラン(対楽天戦)で今年のホークスは、実質終わった。たしか、11対10だったか。

松中の大スランプ、斉藤の故障など投打の中心が満足に働けなかった。来年はどうだろう?今年は戦前の予想でぶっちぎりの優勝などと持ち上げられたのが、そもそも慢心を生む原因になった。

で小生の生活はどうだったかといえば、まあ可もなし不可もなしといったところだった・・・。

2007年12月19日 (水)

すさまじきもの

Akubi 公衆の面前にて口に手などあてず咳、くしゃみ、あくびしたる。いとすさまじ。犬猫、稚児などいざしらず、大の大人たるが、羞恥心のかけらもなく、あるいは感染の可能性など一顧だにせず、コホンコホン、ハクッショーン、クワーッを連呼するは、すさまじきなり。

秋葉原などの電気街にて見つけたる10代もしくは20代前半の、丈六尺三十貫目ともおぼしき、徘徊したるは、いとすさまじ。誰のおかげにて、かくも醜悪なる姿態になりたるか、あるいは、いかなるものを食して豚のごとき体躯を得たりしか。聞きたくもなし。見たくもなし。

「・・・じゃあないですかあ」、「なので」、「・・・は、ありですね」なる口語の氾濫、いとすさまじ。

自転車に乗り、携帯電話をもてあそび、かつ耳に紐のついた栓をあてるは、いとすさまじ。後方から到来する御仁にも気づかず、左右に揺れるは腹立たしき。

げに、すさまじきは多々ありて、いちいち書き留めたるもまた、すさまじ。

2007年1月 9日 (火)

年の初め

今年は3連休が9回あるそうだ。そのため海外旅行が増えると、ニュースは言っていた。この数ヶ月は所用であまり休む暇がない。昨日までが最初の3連休だったわけだが、外に出たのは、1-2時間ほどで、いささか息が詰まる。

もう1ヶ月あまりは、こんな週末になる予定だ。息抜きはやはり映画だが、レンタルDVDも面白いものが少ない。

今年最初の書き込みになるが、面白い話が見つからない。

三浪の青年が妹を殺害した事件。成人式で馬鹿者どもが各地で大騒ぎしたニュース。無免許運転したプロ野球の投手・・・・。クダラナイ話が多過ぎる。

今年もきっと、こうした品のない話が政治や日常社会のネタになるだろう。

090 私は今年何をしたいか? 

2006年12月31日 (日)

2006年の終わり

今年はなんといっても、母の死が最大の出来事だった。今度会うときには、まだ生きているだろうか、と思いながら母のもとを去った。その2日後に鬼籍の人となるが、兄からの連絡で目の前が真っ暗になり、号泣した。

最愛の人を亡くすということがどれほど悲しいか、初めて味わった。

母はいま、私の机の上にいる。遺影をときどき眺めながら、あのときこうすれば・・・などと考えたりもする。

泣きべその姉に向かって「(母の死を)そろそろ乗り越えないと」と講釈を垂れる自分も、いまだに涙腺が緩んで止まらないことがある。

母に学んだ色々なことを、これからも折に触れて思い出すことになるだろう。

2006年は、しばらく忘れられない年になりそうである。

050313b

2006年7月25日 (火)

母の死

2006年7月22日、母が亡くなった。87歳だった。10日間入院したが、既に死期は迫っており、最期は自宅で看取ろうと20日に退院する。その2日後の午後5時ごろ、夢を見るようにして逝ってしまった。

0505065 この水彩画と下のペン画は、昨年5月に入院先で描いたものである。息子が言うのも気が引けるが、母は万事器用な人だった。

私が6歳のときに離婚し、看護婦をしながら女手ひとつで3人の子供を育てた。姉、兄と私の「一姫二太郎」である。末っ子だった私が、母と接する時間はいちばん長かったのではないだろうか。

私だけは、臨終に立ち会えなかった。7月18日に帰省し、いったん20日に戻る。医師が今月中は持つという見立てだったので、出直そうと思ったのである。

0505066 しかし、存命する母と会うのはこれが最後と覚悟していた。19日の午後、買い物に行く姉たちから離れて母と2人きりの時を過ごした。そして彼らが出払うのを見届けた後、母の手をしっかりと握り、か細くなった胸の上で突っ伏して号泣した。

その3日後。兄から連絡が入り、愛する母は鬼籍の人となる。実家付近は折からの大雨で天候被害が甚大だった。やっとの思いで駆けつけると、棺のなかで穏やかに眠る母の顔があった。

病床で泣きつぶれたとき、あまり泣くなと言った母の言葉を思い出したが、それが果たせたのは、遺骨を持ち帰った夜になってからだった。

2006年6月 7日 (水)

2人の詐欺師

Wada和田義彦画伯である。盗作疑惑が持ち上がり、NHKのインタビューに答えていた和田氏の表情、声のトーンを見聞きして、嘘をついているとハッキリ分かったのは、小生だけではあるまい。自信のなさがモロにでていた。

ウソ発見器にかけたら、即座にその答えが出たのではないか。「他人をだませても、自分に対しては騙せない」という見本である。この人は自殺するのではないかと思った。そうすれば、ゲージツ家の良心が一片でもあったとの評価が与えられて救われる。もちろん不謹慎な考えではあるが・・・。

Mrsugi それにしても、30点近くがイタリア人画家スーギ氏の作品に酷似しているとは、とんでもないことである。芸術家ではなくて、詐欺師である。あれだけのアイデアを拝借しておいて、「この空間の使い方、筆のタッチを見てもらえば・・・」などと釈明する和田氏は、痛々しく悲しい。

この人を私はまったく知らないが、むしろ贋作画家として堂々と仕事をしたほうが良いのではなかっただろうか。それを承知で喜んで買うマニアがいるのだから。

しかし、音楽でもだれかの演奏振りを真似る人は、亜流とみなされて評価は低く、文学の領域でもノンフィクション作品は別として、一部盗作の疑惑を持たれた作家は、その後の売れ行きに響く。猿真似をする人は、芸術の分野に立ち入ることをやめるべきであろう。

Murakami それに比べて、この人は、私に言わせれば詐欺師ではない。なぜなら、詐欺が前提の領域で詐欺を働いたのだから、驚くに値しない。株式市場には、もともと「信頼性」などないのである。

経歴は華やかだが、いつのまにか自惚れたり、功をあせってチョロマカシたり、あげく「プロ中のプロ」などと吠えるのは、元来器が小さいのである。

”衣食足りて礼節を知る”ではないが、調子のいいときに、ハタと我に返ることのできないひとは、いい仕事は続けてはできない。

3割打者でも、10回に7回は凡退する。その7回の打撃を反省しながら、3回は打つ。謙虚さが大事である・・・・。

2006年5月19日 (金)

反面教師

Tostuka 戸塚宏氏である。読んでいないが、例のヤンキー先生との対談が週刊誌に最近、載っていたようである。表現は悪いが、問題児を預かって鍛え直すのに、体罰は不可避だ、と言って譲らないのがこの人のようだ。

嫌がる少年をヨットから海に投げ落とし、独力で這い上がることで徳育・知育を醸成するのが、この人が営んでいたスクールの方針だった。

この人の矯正方法は、我が子を谷底に突き落とす親ライオンの教育と同じである。つまり、ヒトも動物も、痛い目にあえば”直る””鍛えられていく”という単純な発想に基づいている。

8428 「健全な精神は健全な肉体に宿る」と説いたのは、ユダヤ人排斥のためにナチスがこしらえた「優生学」「血液学」だったと思う。

これは、”不健全な肉体には、不健全な精神が宿っている”というプロパガンダである。目的があるのである。だから、戸塚氏もヨットスクールでの”教育”は、本人の目的達成(何かは分からないが)のためではないかと、以前から推測している。

小生が問題にしたいのは、そこにあるのではない。そんなところに預ける親の気持ちである。私は小学生の低学年まで、下校時に看護婦の母が勤務する精神病院(いまはこういう表現は使ってはいけないかもしれないが・・・)に立ち寄って、その後母と一緒に家路に着くのを習慣にしていた。

そこに収容された人は、いわば家庭から遺棄された人ばかりだった。もちろん、肉親にとって、血のつながった肉親を入院させるのは、苦渋の選択であることは言うまでもない。ほおって置けない人もかなりいた。

しかし、子供の私が見て、すでに症状が回復した患者さんでも、容易に退院しなかった。引き取らないから病院側は、賄い婦や清掃人としてただ働きさせて、置いておく。そのうえで治療費も頂くのである。

この種の病院が、患者虐待とか、儲け主義、医事法違反とかで批判されてきた。しかし、私が幼いころ見たのは、親の責任逃れのケースもかなりあった。

その病院で、私は患者さんたちにとても可愛がってもらっていた。それは、母が患者さんに対して献身的で心優しく接していたからだ。

ヒステリーが直った女性はおやつをくれた。アルコール依存症のおじさんには、花札を教わった。その人たちが、たまに禁断症状を起こして、過度ともいえる治療を施され、ぐったりしているところを何度も見た。

しかし、回復するとみな良い人ばかりだった。一生、こういうところにいるのかなあ、というのが当時の思いだった。ヨットスクールと医療施設を同一視できないが、戸塚氏の、あのびくともしない不敵な笑顔を見ると、不思議なことに親と子、家庭というのは、大切なものとの思いが強くなる。

こういうのを、まさに反面教師というのではないだろうか。

2006年5月 8日 (月)

「オペラ座の怪人」とマルセ太郎

D111422722 実につまらなかった。「ウエストサイド・ストーリー」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「パリの恋人」(あまり知られていないが、O・ヘプバーンとフレッド・アステアが競演)を除いては、ミュージカルは好きなほうではない。

それでも、以前観た同名の映画が面白かったので観たのだが、前作で見られたサスペンス性がミュージカル仕立てによって、いとも簡単に崩れ去っていたのには、がっかりした。もともと、原作は舞台のミュージカルらしいから、こうした作りのほうが正当かもしれないが・・・。

観た人のコメントは、どれも絶賛ばかりである。劇団・四季がやるので、その前に見ておきたかったなどという、通ぶった人たちばかりのものだ。反吐が出る。

Robart 1990年のこちらの作品は良くできていた。まあ好みといってしまえばそれまでだが、「オペラ座の怪人」と聞けば、どこかオドロオドロシイ物語を連想していまうではないか。

30845515 GW中に図書館から借りた5冊のうちの一冊がこれである。実に面白い。マルセ太郎と、一人芝居「土佐源氏」を演じる坂本長利氏は、以前から関心を持っていた。

マルセ氏は01年に67歳で亡くなっているが、この本の中で映画監督・山田洋次氏との対談は興味深い。あまり面白いので、このなかのギャグを拝借して知人に披露してみたい。だから、知人には勧めたくない。

2006年4月 4日 (火)

ムードの悪い世の中になってしまったものだ

相変わらず殺伐としたニュースが多い。挫折したり、痛い目に遭ったりした人が逆恨みする傾向が顕著になったのだろうか?

少年犯罪ならば、まだ心の奥底を見て分析することもできようが、40過ぎの妻子持ちが人を殺めたくなった、というのは一体なんだろう。ストレスやプレッシャーは程度の差こそあれ、みな持っている。自制心が効かない点で、彼らは大人になりきっていないのではないか。

私などは図太いほうなので、心の中でこのウン10年間、大量殺戮を幾度もやっている。好き嫌いの落差は誰にも負けない。しかし、いったらおしまい、ということを少しは覚えた。針の筵にも座ったし、ブラックホールから生還した経験もある。

怒る時は怒らなければいけないが、受け止める側に問題がある場合は、往々にして怒っても仕方ない場合が多い。・・・てなことをやっと自覚できたのはこの数年ではある。

098 今回は何も挿絵がないので、大好きなダイアン・レインのポートレートを1枚。

ダイアン・レインは年を取るにつれて、ますます魅力的になっているなあ・・・・。

2006年3月 4日 (土)

久しぶりに麻雀を楽しむ

先日、久しぶりに麻雀をした。田舎の友人とやるものだから、方言丸出しである。このブログで書けというので、仕方なく書いている。下の絵も仕方なく・・・。

雀荘の主は、聞きなれない会話に面食らったのか、最初は異物が混入したような顔で遠巻きにこちらを眺めていたが、やがて興味をなくしたように、視線はテレビのほうに移っていった。D110477061

この映画も観たが、前述のとおり麻雀は目的ではなくて、年に数度しか会えない者同士が旧交を温める場作りの口実である。いつもはゴルフなのだが、不摂生がもとで腰を悪くした一人がいたので、この次第となった。しかし麻雀は好きなので、ついのめりこんで半チャン4回もやってしまった。

「その年になるまで、昔からの友達が東京に出ていったあとも仲良く付き合っているのは、聞いたことがない。お前たちは幸せ者だ」と母親が言っていたが、そのとおりである。

14、5歳のころから数えればウン10年来の付き合いである。顔を合わせるのは、年にせいぜい3回がいいとこだが、それでも仲違いすることなく付き合えているのは、私の人徳のなせるワザだろう。

それにしても、出だしの半チャンでトイメンがチョンボして、トップを取り損ねたのは痛かった!!

2006年1月 5日 (木)

某誌2社からネタの催促

 某情報誌と某経済誌からネタ切れのSOSが届く。年明けの雑誌編集者は、休みボケも重なって、ネタ不足に悩む。「どこにも載ってないヤツを・・・」と言われても、他所に出す予定のテーマまでは話せないし、かといって彼らからも情報をもらうので無碍にはできない。

 「俺が書いたら痛い目にあうネタがある」と言って情報提供したが、相手も笑って尻込みしていた。ネタ元と思われるのは大変光栄だが、いつも期待にこたえるのは難しい・・・。

昨年は某誌の仕事で、専門誌めぐりを1年間やった。40人ほどの編集長に会っただろうか。

そこで思ったのは、部数の多寡や会社の大小、年齢・性別に関係なく、編集長になる人は、やはりひとかどの人物が多い、ということである。見識は広く、話がうまい。今後の取材に生かせる話をたくさん聞かせていただいた。

いきなり、またまた観てはいけないDVD第2弾。「キャット・ウーマン

catwoman ハル・ベリーファン限定でお願いします。前回の「スカイ・キャプテン」よりは1翻(イーファン)ましという程度。ハル・ベリーは好きだが、これはダメ。1、2年前の「ワースト・ムービー」のNO1で、その授賞式で彼女が笑いながらトロフィーをもらっていたシーンを思い出した。

最近は1~2年遅れの洋画をTSUTAYAで観まくっているせいか、脇役にまで目がいく。しかし、観てはいけないDVDを紹介するようでは、こちらの選択眼が悪いということか。

降り損なう

 仲間と一杯ひっかけて帰宅。ひとつ先の駅まで乗ってしまい、帰還が30分ほど遅れてしまった。新年早々からの失態である。

 まだ正月休みの人が多いせいか、電車は空いていた。特にどうということのない一日。相変わらず、酒席での話題は例のバケモノの話が中心。それから、編プロの編集者と出版社の編集者は違うのか違わないのか、といった話題。

 それから、このブログの話。「HPよりも見栄えがいいな」との指摘を受ける。就寝前に前夜録画しておいた映画「不毛地帯」を少しだけ観る。主人公は伊藤忠商事の会長だった瀬島龍三がモデルといわれている。

DVDの続きを少し・・・。観てはいけないDVD。「スカイキャプテン

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3大スターの競演というだけで迷いなく借りたが、あほらしくて観る価値なし。1時間経過したところで、やめた。是非観ないでほしい。

2006年1月 3日 (火)

明日から仕事

 明日から仕事である。仕事モードに入るため、某誌に提出する原稿の企画を作成してみた。今年は例年になく休みが少なかったせいか、気合が入らない。。曜日の関係もあったので仕方ないが・・・。

 冬休み中はTSUTAYAからDVDをたくさん借りた。12本。昨夜観た「ミリオンダラーベイビー

001 は面白かった。C・イーストウッドは相変わらずいい仕事をする。

 

読書のほうは、あまり進まなかった。いま「聖地エルサレム

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を読んでいる。7割がた読了した。一度はこの人が書いた本を読みたかった。元NHKの平山健太郎氏。アラブ関係の専門ジャーナリストで、TVにもよく登場していた。

 この本はNHKの「エルサレム」プロジェクトを手がけた特集班の手による。これでも分かりやすいほうだと思うが、それでもアラブ世界とユダヤ民族の関係、取り巻く冷戦構造を理解するのは容易ではない。

 昔から疑問に思っていることは、なぜユダヤ民族がロシアやヨーロッパの国々で差別されてきたか。差別の歴史的背景である。日本人にはユダヤ差別という感覚はほとんどないと思われるだけに、なおさら差別の原因が大づかみにでも把握できればと考えてこの書を選んだ次第である。

 同じようによく理解できないのが、バルカン半島の民族差別だ。ボスニア紛争後はマスコミで取り上げる機会はめっきり減った。

 いずれにしても、国境線のあるところは諍いが絶えない。その国境線を誰が敷いたのかがそもそもの問題だ、ということなのだが・・・。

2006年1月 2日 (月)

年のはじめに・・・

知人が「ブログ、ブログ」と喧伝するので、初めて書いてみることにした。

登録し始めたら、すでに登録済みなのに少し驚く。準備だけはしていたことになる。

とにかく今年1年できる限り更新し続けてみようと思う。