2009年11月 3日 (火)

『ダウト』を観る

Doubt 久しぶりに緊張感のある映画を観た。メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンが、オスカー俳優の貫禄たっぷりに、がっぷり四つに組んで迫真の演技を見せてくれる。

シスター役のエイミー・アダムスが可憐で美しい。黒人少年の母親役のヴィオラ・デイヴィスも出番は少ないが、作品の琴線に触れる台詞を任されて好演した。

Meril メリルの修道服?は珍しいのではないか。黒装束に身を包み、帽子の奥から発せられるセリフのひとつひとつに魂がこもっている。もともとは舞台劇を映画化したものだが、舞台出身だけに、校長室での狭い空間で繰り広げる演技は、緻密で計算されたかのようだ。すでに大御所だから、いまさら上手いと褒めるのも失礼だが、『マディソン郡の橋』以来、あまりぱっとした映画がなかったように思っていただけに、これはメリルファン必見。

Doubt_2 ホフマンもやはり舞台出の役者。『カポーティ』以前までは、名脇役のイメージが強かったが、今回は堂々の準主役。メリルとの丁々発止はスリル満点である。

まだ42歳と若い。これから、どんな演技を見せてくれるのか興味は尽きないが、『カポーティ』では製作・指揮もしたというから、イーストウッドやレッドフォードのような映画人になるのではないかという気がする。

この映画は、舞台劇が元になっている関係もあるだろうが、結末のセリフをどう解釈するのかがポイントだ。小生にしては珍しく、この映画(DVD)は立て続けに2度観た。2回観たいまも、ウーンと唸るような映画である。『チェンジリング』『グラントリノ』に続いて、今年のマイシネマベスト10に入る。

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2009年10月28日 (水)

『グラン・トリノ』を観る

Grantorino この作品はクリント・イーストウッドの脚本ではないようだが、やはり巧みなストーリー展開の点で、さすがというべきメガホンである。野卑な会話で、げびたアメリカ野郎を描写し、ゴリゴリの保守反動を見事に演じている。

『チェンジリング』も傑作だったが、この映画も、大作ではないがとてもよくできた作品だ。アジア系移民で少数民族の一家が隣に引っ越してきて、ひと騒動が始まる。

Grantorino_2 少年と心が通じ合うまで、頑固一徹の親爺はプロスポーツの観戦切符をねだる息子に愛想をつかした返事をし、移民にも冷たい視線を送る。しかし、占い師に心境を見事に見破られて心変わりをするようになる。

実のところ、テレビのドラマ映画『ローハイド』でデビューし、マカロニ・ウエスタンで一躍人気者になったころは、監督までするとは想像もしなかったが、いまや屈指のヒットメーカーになったものである。

作る映画のほとんどすべてが話題作になるし、凄い人になったものだ。名前で映画を選択できる数少ない人ではないか。この映画も今年必見である。ラストシーンは感動もの。

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2009年9月22日 (火)

『チェンジリング』を観る

Changiring 今年も多くの映画を観てきたが、これはベスト5に入る。監督C・イーストウッドの演出が冴え渡っている。観る前から、この人の映画なら、という安心感があるせいか、はじめは輪郭がぼやけているものの、「なに、ちゃんと引き込んでくれる」と思ってしまう。

ロス市警の腐敗といえば、『LAコンフィデンス』も傑作だったが、ここでは時代が世界恐慌前夜。勧善懲悪といえば監督に失礼だが、良い作品は、どんなに込み入ったストーリーでも、詰まるところ単純な構図に置き換えられるのが特徴である。

Changiring_2 A・ジョリー、J・マルコビッチの2大スターが抑えた演技。監督は、できるだけ台詞を省いて、2人の実力に委ねたような演出をしたのではないか。複数のストーリーを同時進行させるのも古典的手法ではあるが、この人が使う場合、画面転換に無理がない点が素晴らしい。

この撮り方は、ややもすると話が飛びすぎて荒唐無稽になりがちだが、抑えるところをキチンと押さえている。

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2009年9月20日 (日)

『コレラの時代の愛』を観る

090920colera 『ノーカントリー』でオスカーを取った俳優ハビエル・バルデムを見るためだった。原作は世界で広く翻訳されているそうで、ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの筆になるものだという。

『ノーカントリー』で、強烈な存在感に目を瞠ったバルデム。『宮廷画家ゴヤは見た』でも好演し、そのとき借りた予告編(普段は飛ばすのだが)でこの映画を知り、TSUTAYAに登場して、早速借りてきた。

   090920korela_3 

こういう純愛物語は、ストーリーに奇想天外さはないから、演技力がいつにも増して求められる。バルデムの抑制の効いた演技が淡々とした展開にもかかわらず、全体の構成を引き締めている。大衆受けする作品でもなく、大ヒットしそうにないと思うが、バルデム好みには必見だろう。

予告編に大きくフィーチャーされていた原色溢れる絵画調のイントロは、とても美しい。しかし、ほんの数枚なのが惜しまれる。ただ映像のほうも大変きれいで、監督の趣味の良さ、美的感覚に感心してしまう。

ヒロインを演じたジョヴァンナ・メッツォジョルノは、青い目と黒髪が素敵なイタリアの女優。この映画で初めて知ったが、数本の映画に出ている。気品溢れる役者さんだ。探してきて他の作品を見てみたい。

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2009年7月 6日 (月)

宮廷画家ゴヤは見た

090705goya1 監督のミロス・フォアマンは、『アマデウス』『カッコーの巣の上で』などを手がけた人。『ニューシネマパラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督同様、その名を聞いただけで見たくなる監督の一人である。

 余談になるが、タイトルにある『ゴヤ』の関連で言えば、スペインの作曲家・グラナドスが書いた『トナディーリャ』という組曲の一節がギター用に編曲されて『ゴヤの美女』として知られている。私のお気に入りでもある。

『ゴヤの絵』ともいう。『裸体のマハ』『着衣のマハ』という実在する2枚の同じモデルによる絵は代表作のひとつ。曲はそこから着想を得ている。

090705goya2 ゴヤは宮廷画家であるが、民衆画家でもある。この映画が史実に忠実ならば(もちろん、そうに決まっているが)、教会批判のガリ版を作って密かに売っていたのは、少し驚きである。

Goya3 主役はゴヤというより、ロレンソ神父である。『ノーカントリー』で圧倒的な存在感を示したハビエル・バルデムが、ここでも画面を占領する。スペインではラグビーの国内代表も経験したとかで、鍛えた巨体それ自体がすでに演技力の源泉になっているかのようだ。

ストーリーは、ここでは書くまい。バルデムは『コレラの時代の愛』という話題作もある。これも観るつもりである。

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2009年7月 5日 (日)

チェ 39歳別れの手紙

Che2 チェ・ゲバラ2部作の後編である。イントロの南アメリカ大陸の国々をパステルカラーで彩色していく演出が心憎い。改めて地理の勉強をさせられてるようだ。

Che3 ネタばれは不味いと思うが、ゲバラがキューバを去る理由について、カストロは公式の場で、ゲバラからの別れの手紙を読み上げる。テレビで放映するシーンだ。ボリビアに侵入するのは、もちろん密入国である。

Che5 カストロはゲバラに支援物資を届けるため密使を放つ。キューバから連れて来た精鋭部隊のほかに、フランスなど他国からの支援者も闘争に参加していることが次第に明らかになってくる。

Che6 映画の大半はもちろん山岳闘争のシーンが中心。山深い奥地に前線基地を設営するが、やがて政府軍は米国の特殊部隊の応援を受けて、ゲリラを追い詰めていく。

Che12

農民は政府軍の圧力に耐え切れず、ゲリラの行方を知らせるようになっていき、敵を引き付けて波状的な攻撃を続ける、いわゆるゲリラ戦法は、通用しなくなっていく。

Che11 そして、ついにゲバラは捕われ、射殺される。

Che10 場面はおそらく、ボリビアの海岸国境を目指して船上から彼方のキューバを見つめるショットで終わる。デルトロの寂しげな、しかし使命感を帯びた表情がなんとも言えない。

全編を通じて、恐ろしく淡々と描いている印象が残る。プロパガンダでもなければ、反米映画でもない。ゲバラその人を描いた映画である。

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2009年6月14日 (日)

『チェ 28歳の革命』を観る

Che 『チェ 28歳の革命』はS・ソダーバーグのゲバラ2部作の前編である。地下鉄の通路に貼ってあったポスターを見て、デルトロがゲバラにそっくりなのを見て以来、早く観たかった映画である。

 ゲバラに関しては、この数年色々な映画が作られていて、『モーター・サイクル・ダイアリーズ』も面白かった。『チェ・ゲバラ&カストロ  』はまあまあだったが、どちらにも出ていたのが、ガエル・ガルシア・ベルナルだった。

 しかしベニチオ・デル・トロは、やはり格上の役者。男の色気を感じさせる点でゲバラの適役といえる。いままでどうしてデルトロがゲバラを演じなかったのか。そのほうが不思議なくらいである。

Che_2 ストーリーに関しては、多くを語る必要がないだろう。ソダーバーグもキューバ革命について詳細に撮影していない。むしろ細部にこだわったところが、いかにも彼らしい演出だ。

 ゲバラの国連総会での演説は見事なカメラアングルだ。公式演説だから、キューバを非難した中南米諸国代表の発言も史実に基づいているはず。

 ゲバラをことさら神格化せず、ゲバラ信望者にとっては知られたくない発言まで語らせているところも秀逸。私は戸井十月のゲバラに関する著作を読んだことがあるが、そこにも出てこないゲバラの発言が出ていたのが興味を惹いた。

 さて今度は後編である。

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2009年6月 7日 (日)

『おくりびと』を観る

090607okuribito 『おくりびと』(2008年)を観た。アカデミー外国映画賞を受賞した話題性もあるが、『シコふんじゃった。』で本木雅弘の演技に感心していて以来のお気に入りだった。調べてみると、この人は実に多くの映画に出ている。

 ミーハータレントだったとは失礼な言い方だが、役者としての資質を持っていると思う。ショーケンよりも上ではないか。

 銭湯の女将が荼毘に臥される場面では、3年前に亡くなった母のことを思い出して、また泣いてしまった。映画のように納棺されて焼かれる直前の最期の別れは、実につらかったものである。

 葬儀で必ず納棺師の出番があるとは思えない。土地柄などもあるだろうし、葬儀代の関係から呼ばないこともあるだろう。母は実の姉がなくなったとき、看護婦だったこともあって、病院の慰安室で死化粧をし棺桶に着物をかぶせた。その母の死化粧は娘である私の姉が施した。

身近な死は母のときだけで、よくは知らない。映画は納棺師が元チェロ奏者だったという設定で、ほぼ成功の半分の原因を作っている。

090607motoki 本木雅弘に役者としての高い資質を見るのは、繊細な身体の動きである。この映画はまさにそれを求めていて、本人も語っているように、所作をこなすことが作品の中で重要な意味を持っている。

脇を固める役者が素晴らしい。山崎務はいうまでもなく090607yamasaki、笹野高史(葬儀場で働く銭湯の常連)が特に良い。『パッチギ』でも笹野は良い芝居をしていた。いぶし銀である。

残念なのは、日本映画の昔からの弱点だが(外国にもそういうことがあるのかは知らない)、せりふが少し聞き取りにくい場面がある。BGMはきっちり聞こえていても、肝心の台詞が明瞭に耳に届かないのは、日本映画の映像技術の高さからしても、不思議。

本木の、時に見せるコミカルな演技も良かった。お勧めの1本である。

2009年5月 6日 (水)

『スターリン』を観る

Stalin ロバート・デュヴァル主演の作品(1992年・アメリカ)。これはテレビドラマだろう。確か2年くらい前に観たが、今度見直してみると、スターリンの残酷ぶりが、誇張され過ぎているのではないか、と感じた。

Dubal デュヴァルは「ゴッド・ファーザー」などコッポラ監督作品には欠かせない名優だが、60年代の名作「アラバマ物語」がデビューだとか。振るい芸歴だ。この作品で、どんな役を演じたのか記憶がない。

Aumond スターリンの妻の役・ジュリア・オーモンドはこの映画で初めて注目された。チャーミングで気品のある英国女性だ。私は大好きであるが、最近ゲバラ2部作に出たらしい。

Starin ヨシフ・スターリン(1878-1953)は、ソ連の初代書記長である。書記長は、レーニン時代に作られた共産党政治局の最高ポストといわれる。

現ロシアはグルジアと戦争状態に近い関係にあるが、スターリンはグルジア人だった。そのロシアでいま、スターリンに対する再評価が高まっているというから、ロシアという国は分からない。

この映画にはべリア、キーロフなどスターリン時代に抜擢されたり粛清・暗殺されたりする実在の人物が多く登場する。スターリンを扱った映画は、知る限りこの一作ではないかと思う。その意味では歴史を学ぶ点で見る価値はあろう。

2009年2月16日 (月)

バーグマン&ロッセリーニ映画

Stronbori イタリア・ネオリアリズムの巨匠・R・ロッセリーニ監督と、イングリット・バーグマンの3作を見た。『ストロンボリ 神の土地』(1949年)は、亡命未亡人が朽ち果てた火山島で生きる力をなくす絶望を描いて秀逸だった。

Italajourny_2 一方、『イタリア旅行』(1953年)は即興的な演出で、のちにゴダール監督がこの作品に触発されて『勝手にしやがれ』を製作した、とのエピソードが伝えられている。しかし、『勝手にしやがれ』もそうだが、感動する作品ではない。ネオリアリスモの巨匠が、持てるテクニックを披瀝した、というところだろう。

Fuan もうひとつ、『不安』(1954年)という作品。ロッセリーニ・バーグマンのコンビ最終作。病弱(?)の夫に代わって製薬会社を切り盛りする女社長が不倫し、捨てられた女にゆすられる。その背後に夫がいるが、最後は意を決して警察に通報すると女に訴えると、夫の存在が明るみにでる。そしてバーグマンは子育てに専念するというストーリーだ。

ロッセリーニの代表作『無防備都市』(1945年)を私は小学4年ごろに観ている。信じられないかもしれないが、鮮烈な印象を受けた。子供ながらに感動したのである。最近観たら、それほどの感慨はなかったが、この作品を見てバーグマンは夫と子供を残したままMuboubi ロッセリーニのいるイタリアに移り住み、ハリウッドから轟々の非難を浴びたという。

気品ある美人女優がそれほどの情熱を抱いて惚れ込んだ監督だったが、この3作で関係は解消した。『カサブランカ』がそうだったように、バーグマンは信念の人、反骨の人なのかもしれない。映画史のなかでも記憶に残しておきたい作品群である。

2009年1月13日 (火)

『僕のピアノコンチェルト』を観る

Vitus 出だしに私の大好きなシューマンのピアノ協奏曲が流れてきただけで、良い映画の予感がした。ピアノコンチェルトは、チャイコフスキー、グリーク、ラフマニノフとこのシューマンが好きである。この曲は20年前にアルゲリッチ(オケは忘れたが指揮者はロストロポービッチ)のLPを買い、何度も聴いた。

主人公のヴィトスは作品で描かれているとおり、テオ・ゲオルギューという若きピアニストだそうだ。観ていると、どうも指の動きと顔の表情が一致している。普通、吹き替えがあるから鍵盤での手の場面と顔は別に撮影しているのが一目瞭然なのに、この映画に限ってはそんなシーンがなかった。

Vutus3あとで調べてみると、テオ君は2年前に来日してコンサートを開き、神童振りを発揮したらしい。ピアノの腕はともかく、演技も素晴らしい。子役の子供も上手かったが、何をやってもうまい人はいるものである。

Vitus2                                                 

祖父役を『ヒトラー ~最期の12日間~』の名優ブルーノ・ガンツが演じていて、いい味を出している。 最近のドイツ(これはスイスの作品だが、ドイツ語だった)映画は好調のようだ。『4分間のピアニスト』(これもピアニストだ)も良かった。

話の筋は、後半やや奇想天外な方向に流れるものの、娯楽作品として及第点。クラシック好きには、ラベルやリスト、バッハなどもう少しじっくり聴きたい感じもするが、質の高い映画といえるのではないか。

いつも思うのだが、子役の演技力(大人もそうだが)は日本映画は著しく低い。古くは二木てるみや江木俊夫など上手い子役がいたが、知る限り最近見かけない。

                                                  

2009年1月 5日 (月)

『題名のない子守唄 』を観る

Daimei 『ニュー・シネマ・パラダイス』で有名なジュゼッペ・トルナトーレ監督の2006年作品。この人の映画にしては珍しくサスペンス調で、当初の小1時間程度は、話の展開が読みにくい。画面に釘付けになるのは、主演女優クセニャ・ラポポルトの美しさによるところ大。ロシアの実力派女優らしいが、初めて観た。スタイルが抜群で、長身。

それでも、脚本は巧みに編まれている。フラッシュバックという映画技術だったろうか、過去と現在を交錯させながら、次第に驚愕の事実が明らかにされていく。

女性にはつらい思いが残るシネマかもしれないが、同時に業の深さを抉り出しているとも言える。

監督はおそらく、ヒッチコックを念頭に入れていたのではないかと感じた。ジワーッとする気味の悪さが一瞬にして怖気を催す場面に変わる。『サイコ』だったろうか、緊張感をかもし出す独特な効果音(BGMかもしれないが)など、スリラーの巨匠にヒントを得たシーンが散見された。

デ・パルマなどはヒッチコック信奉者を自認しているくらいで、彼の作品にはパクリとさえ思えるような場面が随所に見られる。

この人も相変わらず、期待を裏切らない監督である。寡作の監督は失敗が許されないだけに、1作にかける集中力が必ず結実するのかもしれない。『マレーナ』も良かったし『海の上のピアニスト』もいい。『パラディソ』が最上だが、この映画も一見の価値ありである。

2008年12月27日 (土)

『幻影師アイゼンハイム』を観る

Norton 原題は「 THE ILLUSIONIST」。今年観たDVDのなかでも3指に入る傑作だ。お気に入りのエドワード・ノートンが出るというだけで、観る気になる。デ・ニーロと共演した『スコア』が印象に残るが、この映画は代表作のひとつと言えるかもしれない。

やはり良い映画は、良い脚本に恵まれることが必須条件だ。この映画も、ストーリーが面白い。最後はアッと言わせる展開になるので、ここでは秘密にしておく。とにかくお勧めである。

エドワード・ノートンは来年40歳になる若手の部類だが、演技がしっかりしている。舞台で味わった下積み経験が花開いたのだろう。役に対する解釈力が秀でているのではないか。

Jiamatthi アイゼンハイムを執拗に追う警官役のポール・ジアマッティもまたいい芝居を見せてくれた。どの映画に出ていたかと言われると、すぐに思い浮かばないのだが、顔を見れば「あの映画に出ていたな」と思い出す俳優である。

この映画では準主役として、物語を引き締まったものにしてくれている。いい脚本といい役者、いい演技。これだけ揃えば、つまらない映画であるはずがない、という典型である。

2008年11月 6日 (木)

1970年といえば・・・

Sunflower_2 やはりこの作品をおいて他にない。H・マンシーニの音楽を映像とももにしばし、ココで堪能してほしい。数あるお気に入り映画の中で、『ひまわり』は私の中でいまでも燦然と輝くベスト1である。

この年、毎週のように映画館に足を運んだことは、前々回書いた。時には、2時間以上かけて県内最大の都市にまで見に行ったこともしばしばだったが、これは近在の(といっても電車で小1時間はかかるところだが)映画館で2本立てとして見た。もう一本はどんな映画だったか記憶にない。

前評判が高く、その年の12月のある土曜日だったと思う。満席で立すいの余地もなかった。出だしは陽気なイタリア女と伊達男のコミカルなストーリーで始まる。メインテーマに劣らない『ジョバンナのテーマ』というボサノバ風の曲が流れる。

やがてマストロヤンニ扮するジョバンナの夫は独露戦争でシベリア戦線に赴き記憶喪失に。瀕死の重傷を負い、ロシアの片田舎で再婚しているところを探し当てる。が記憶は戻らない。背を向けて列車に飛び乗り、ジョバンナは号泣する。

ここでもう、館内はすすり泣きの渦に包まれていた。泣き上戸の小生もハンカチがぐっしょりと濡れた。そして観客は2人がやがて再会し、永遠の離別を迎えるローマ駅で感極まるのである。

ソフィア・ローレンの、あの大粒の涙でもらい泣きしない者は、涙腺が切れているのではないかと思えるくらい、泣けてくる。

15歳といえば多感な時期である。この映画を観たあとの1ヶ月は、しばらく余韻が冷めなかった。そしてどんどん映画にのめりこんでいったのだった・・・・。

この曲をギターで弾きたくて楽譜を一日千秋の思いで待っているのだが、どうしても手に入らない。もっかの悩みのタネである。

2008年11月 4日 (火)

『夜明け前』を見る

Yoakemae 1953年、吉村公三郎監督作品。原作はご存知、島崎藤村。CSの日本映画専門チャンネルで観た。

生まれる前の映画だが、古さを感じさせない名作だった。主人公役の滝沢修がやはり、とてもいい。佐野浅夫、宇野重吉、藤原鎌足、殿山泰司、小夜福子など、すでに鬼籍に入った人ばかりだが、オールスターキャストである。

映画では、主役の半蔵が平田篤胤を信奉する。明治維新で新政府が『神仏分離令』や『大教宣』を出し、廃仏毀釈によって、仏教寺院、仏像、などが破損された。それは半蔵の思惑どおりだった。

半蔵は、神の国ができると信じて維新政府を支持したが、民衆の貧困は解決しなかった。庄屋の跡継ぎで裕福な主人公はそのことに悩み、狂人扱いを受ける。

Touson 藤村の映画は、ほかに『破戒』も観た。これはいつか書いたので省略するが、半蔵は藤村の父がモデルともいわれる。

観る機会は少ないだろうが、お勧めである。

2008年10月30日 (木)

『ナタリーの朝』を観る

Menatali 1969年の作品。中学3年生の1年間、毎週のように映画館通いをした。この映画もそのころ見たもののひとつである。『奇跡の人』を16歳のときに演じたパティ・デュークが7年後に再び登場した。

佳作・秀作の類だが、ヘンリー・マンシーニの音楽のほうがより濃く記憶に残っている。朝もやのマンハッタンをホンダのカブ号で疾走していく主人公ナタリーに、マンシーニの爽やかで美しい主題歌が流れるのが印象的だ。

マンシーニが音楽を手がける映画は、ある意味音楽に食われてしまうから、損な面もある。映画における音楽の位置はとても高いように思う。『鉄道員』『ブーベの恋人』など、イタリア映画もそうだ。

この1969年は学生運動激化の時期で、『いちご白書』もこのころだった。そんな映画と無縁の作品で、これまた感動の音楽に出会う映画があった。『幸せはパリで』という陳腐なタイトルNO1ともいえる作品(原題は『APRIL FOOL』)である。当時人気絶頂だったカトリーヌ・ドヌーブ(大ファンでした)と名優ジャック・レモンの2大スター競演で、凡庸なストーリーだが、バート・バカラック(だと思うが自信がない)が作曲した主題歌が良かった。

ディオンヌ・ワーウィックが歌って少しはヒットしたかと思うが、これもマンシーニ同様、コーラスによる挿入歌が大変良かった。劇中での音楽を聴きたいために、もう一度観たい映画だが、なかなかCS・BSで放映してくれない。

もうひとつこのころ観た映画で音楽が印象に残るのは、『暁の出撃』(1970年)。ジュリー・アンドリュースとロック・ハドソンの競演で、内容は平凡だが、マンシーニが作った主題歌『whispering』(?)をジュリー・アンドリュースが朗々と歌う。これが実に素晴らしいのだ。この映画もいわばB級(スタッフは一流だが)のため、TV放映の機会がない。

それにしても、この1年間、どれくらいの映画を観ただろうか。親もよく小遣いをくれたものだと、いまさらながらありがたく思う。

2008年9月 2日 (火)

『Vフォー・ヴェンデッタ』を観る

Vendeta 『マトリックス』を監督したウォシャウスキー兄弟、とあったので期待しないで暇つぶしに見たが、これが意外にも面白かった。

第3次世界大戦後の英国を舞台に、孤高のテロリストが国家に立ち向かう近未来スリラー・・・との解説がある(2006年 アメリカ)。

Vendeta 英国にヒトラー並の独裁者が現われ、専制政治を敷く。そのとき反対派に回った主人公が、ある生体実験によって強靭な肉体を身につけてしまう。

ラストの仮面をかぶった大勢の群集シーンは白眉である。『マトリックス』は3作目だったか、招待券をもらって観たが、退屈でぐっすり寝てしまった。しかしこの作品は、ストーリー展開もよく、マトリックスほどのCGを多用していない点に好感が持てた。

過度に期待してはなんだが、マトリックスよりは面白いと思う。

2008年8月11日 (月)

『三たびの海峡』を観る・読む

Kaikyou 『三たびの海峡』をTV(日本映画専門チャンネル)で観て、それから原作を読んだ。作者は帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)。この作家はまったく知らなかった。またこの名前は漢字博士を自負?する小生もお手上げで、読めなかった。なんでも源氏物語の一節からつけたという。

原作が発表されたのが1992年。映画化は95年。日本映画専門チャンネルが『我が心の日本映画』と題して、三国連太郎が主演した想い出深い作品(他に『神々の深き欲望』『飢餓海峡』『異母兄弟』)を放映した。

Rentarou 海峡とは、日本(九州)と朝鮮半島を隔てる朝鮮海峡(対馬海峡とも)のことである。戦前、筑豊炭鉱に強制連行された韓国人の数奇な運命を描いている。「三たび」とは、終戦後日本人妻と韓国に帰国し、実業家として成功した主人公・河時根(ハ・シーハン)が死を賭してボタ山を訪れることに由来する。

映画を観てから原作を読んだら、だいぶストーリーが違っていたが、どちらも感動を覚える。映画のほうは、三国連太郎を除いては、比較的若手の役者が多く、その落差に少し違和感を覚える。

戦前、父が筑豊の炭鉱労働者の支援をしていた関係で、戦後も在日の人たちが自宅に時々訪ねてきていた。当時衣料品店を営んでいた我が家に彼らが来ると、父はただで着るものを持たせて帰らせた、と母から聞いた。まだ4-5歳前後だったから、すべて伝聞だが、兄に聞くと朝鮮人部落に日本人の子供が行くと苛められたが、私ら兄弟だけは別格扱いされたという。

実家が養豚場を営む同級生がいた。彼も在日だったが、売り言葉に買い言葉で人種差別的な言葉を吐いた。よくけんかもしたが、仲は良かった。

後年、そのけんか仲間がTVCMのテーマソングを歌うくらいの知名度を得たフォーク歌手になった。父が地元でなにかのお祭りの主催者に名を連ね出演を要請したら、彼は喜んで参加してくれた。父はそのことをとても喜んだ。

『三たびの海峡』は実話に基づくものではないが、底流にあるものは事実である。その流れの片隅に、私の幼年期が重なり合うような気がした。

2008年7月 4日 (金)

『フロント・ページ』を見る

Frontpage1 名監督・ビリー・ワイルダーの1974年の作品。ワイルダーのメガホンになるものとしては『サンセット大通り』が最も好きだが、この作品も面白く鑑賞した。ジャック・レモンとウオルター・マッソーが名コンビぶりを発揮する。喜劇仕立てだが、社会批判、風刺を欠かさないのがワイルダー映画の特徴でもある。

作品のなかで、死刑囚が脱獄(実は刑務所にいたのだが)した直後、パトカーと救急車が犯人を追跡するカーアクションがある。おそらく早回しなのだろう。あまりにスピードが出過ぎていて、腹を抱えた。こういうところにワイルダー流の風刺を見出すことができる。

Jackremon ジャック・レモンについては、説明は要らないだろう。『酒とバラの日々』で見せた名演技は忘れられない。マンシーニの名曲が流れるラストシーンが素晴らしい。

シリアスでもコメディでもなんでもござれの役者だった。トニー・カーチスもそうだったが、2人が共演したのが『お熱いのがお好き』というワイルダー作品だ。

Massou ウオルター・マッソーは『おかしな二人』でレモンと共演。続編にも仲良く出演した。人を食ったような表情と早口が持ち味だ。

最近はTSUTAYAで借りて観る映画に面白いものがぐんと減った。深夜映画を録画して、昔の名画をじっくり観るほうが心が落ち着いてよい。

2008年6月24日 (火)

『不知火検校』を観る

Shiranui 勝新太郎主演で1960年の作品。のちの『座頭市』の原型になるもので、それまでパッとしなかった勝新の出世作となり、『悪名』『兵隊やくざ』の各シリーズで大映のトップスターの地位を市川雷蔵と2分することになる、記念碑的作品である。

検校というのは、盲目の官吏として最高の位階。不知火というのはネットで調べても分からなかったが、ウィキによると、大昔の天皇の子息が若くして失明し、盲人を集めて琵琶や詩歌を教え、その従者にも官位が与えられた。そのひとつが検校だという。

ちなみに「群書類従」の編者で、学者として活躍した塙保己一は、塙検校という。

Kenngyou 勝新演じる杉の市は小さいころから悪知恵が働き、成人して、悪党と組んで師匠の不知火検校を殺害、その座に収まる。

座頭市は善玉だが、ここでは高利貸で稼いだ資金を元手に幕府中枢に近づく権力者である。その成り上がりぶりが絶妙に演じられる。

宇野信夫の原作がいいのだろうが、ストーリーが良くできている。古典的ではあるのだが、盲目という境遇がもたらす生活の貧困、そこから抜け出すための計画的な悪行、しかし、巧妙に仕掛けた罠によって気高くも汚れた地位を追われる悲哀。ラストシーンはなんともいえない。

監督の森一生は、確か、『悪名』や『兵隊やくざ』でもメガホンを取っているはずだが、大映の監督は、大好きな増村保造といい、哀感を描き出すのが実に上手い人が少なくない。

最近は、シナリオ不足に悩むハリウッドが日本や香港の映画をリメイクすることが多いが、こういう映画はなかなか置き換えが難しい。また勝新の強烈な個性によって成り立っているので、なおさらだと思う。

2008年6月 1日 (日)

『レ・ミゼラブル』を観る

Remizerable ビクトル・ーユーゴーの名作である。なかなかよくできた作品だ。ジャン・バルジャンを執拗に追う警察署長ジャベールは、『逃亡者』のリチャード・キンブルとジェラード警部を思い起こさせる。

Minamoto 左の絵を見て驚かれるかもしれないが、私はこの物語を漫画で読んだ。兄が部類の漫画好きで、これも兄の蔵書のひとつだった。作者は、みなもと太郎。これがまたよくできた漫画で、本当に感動し何度も読み返したものだった。復刻版が出ているようなので、買ってみようかとさえ思っている。

みなもと太郎氏の品のいいギャグがふんだんにちりばめられ、しかも原作に忠実(読んでいないので比較はできないが)。文芸大作をいかんなく漫画化している。

Nieson さて映画は、『シンドラーのリスト』にも出たリーアム・ニーソンが主役のバルジャンを演じている。抑制の効いた演技が素晴らしい。

名作だけに何度も映画化されているが、お勧めの作品だ。

2008年5月12日 (月)

『死刑台のメロディ』を観る

Sacco この映画を観るのは、実に30数年ぶりである。実際に起きたサッコ・バンゼッティ事件(1921年)という、冤罪事件である。移民排斥と思想差別によってもたらされた。ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティの2人のイタリア系移民アナキストが、強盗殺人事件の犯人にでっち上げられた話である。

これだけ昔だと、何の記憶もなかったが、エンディングテーマであるジョーン・バエズの歌だけはよく覚えていた。この映画にバエズの歌はいくつも挿入されているが、この最後の曲は単純なフレーズの繰り返しだが耳に残る。

もうひとつ驚いたのは、放映開始前の解説で、この映画の上映の7年後に、事件がおきたマサチューセッツ州政府が2人を無実だったと公表したことである。またその当時の州知事が、ジョージ・ブッシュと大統領選挙を争った民主党のデュカキスだったことも驚いた。

Sacco2 サッコとバンゼッティの冤罪事件は、私のなかでは、ローゼンバーグ事件ドレフュス事件とともに記憶されている。この2つの事件は、たしか岩波書店だったか、『世界ノンフィクション教養全集』が自宅にあり、そのなかに掲載されていたからだ。

親父か叔父が置きっぱなしにしていたのだと思うが、中学生のとき夢中になって読んだ。ドレフュス事件は大仏次郎(おさらぎ・じろう)の筆になるもので、氏の代表作のひとつでもある。

3つの事件とも時代が大きく違い、なかには後世になって真実が判明し、冤罪といえないものもある。しかし共通するのは差別と予断と偏見である。

さてこの映画、舞台はアメリカだが製作はイタリアのため、台詞はイタリア語で物語は米国という、ややわかりにくいものになっている。そこが難点だが、10代のころ観て感じたものと同じ印象を持った。映画芸術という点では稚拙な部分もあるが、隠れた歴史の一部を知る題材としては格好の映画ではないだろうか。

2008年5月 5日 (月)

『ブレイブ ワン』を観る

Braveone ジョディ・フォスターの新作(2007年)。製作総指揮をつとめたという。器用な役者だ。聡明でセクシーでもあり、色々な役を演じることができる。すでにトップスターだから、気に入った作品しか出ない。どころか、出演したい映画を自らの手でこしらえる。その姿勢は立派だ。

そこが、キッドマンやダイアン・レインなどと異なる。彼女たちは映画会社の言うがままに年間何本という映画を消化している。なかには愚作・駄作の類も多く、たまにある名演技や感動作の経歴を台無しにしてしまう。

『羊たちの沈黙』の続編『ハンニバル』に、ジョディ・フォスターは脚本が気に入らなくて降板した。代役のジュリアンムーアになんの不満もないが、トップスターというのは、えり好みをして、自分のキャリアを大事にするものである。

ジョディ・フォスターは、ダイアン・レインとともに子役のころから名演技で知られた。どちらも大好きな女優で持ち味は違うが、やはりジョディ・フォスターには叶わない。

Jyody この作品についてのインタビュー記事があるが、脚本を書き直したそうだ。殺された恋人の復讐劇といえば身も蓋もないが、人には抑制された狂気や殺人願望は少なからず持っている。それがちょっとしたことで現実になるか、いつまでも内在しているかの違いだ。その違いは天と地ほどもあるのだが、小生は人間の心に潜む狂気を描いた作品として楽しめた。

Haward 刑事役のテレンス・ハワードもなかなかの演技である。よく見かける顔だと思ったら、「Ray」にも出ていたそうな。

2008年4月29日 (火)

『レイジング・ケイン』を観る

Photo レイジング・ケイン(1992)は、大好きな監督・ブライアン・デ・パルマ(Brian De Palma, 1940年9月11日 - )の作品である。以前ここにも書いたジョン・リスゴーが出ている。CSチャンネルのシネフィル・イマジカでパルマ特集をやっている。

パルマの映画は、敬愛するヒッチコックの手法を随所に取り入れたサスペンス物と、『カリートの道』のようなアウトローを人間的なタッチで描くヒューマン物の2つに分けられる。

Bo最初に観たのが 『ボディ・ダブル』(1984)である。かなりひねったシナリオで、観る者をぐいぐい惹きつける。これは少し古いが、いまでもじゅうぶん鑑賞に値するので、お勧めする。とくに、主役というほどではないが、付けねらわれる女性の色っぽさには圧倒される。

私の好きな、メラニー・グリフィスも出ている(ちなみにこの人は、ヒッチコックの『鳥』や『マーニー』で主役を演じたティッピー・ヘドレンを母に持つ。この人も大好きな女優で、とてもセクシーだ)。

パルマも、ヒッチコックと同じく、セクシーで演技力のある女優を必ず起用するところが共通している。     

Cross ミッドナイトクロス』(1981)も一時はパルマの妻だったナンシ-・アレンを起用している。この映画は、ご存知トラさん(ジョン・トラボルタ)の主演作。80年代は、おそらく低予算でもいい映画を作ろうという監督の気概が表れていて、いい作品が多い。

最近ではFam 『ファム・ファタール』(2002)が出色だったが、80年代にあったストーリーの切れ味が少し落ちているように思う。

しかし、どの映画も(失敗作もあるが・・・)たっぷり2時間を堪能させてくれる。彼の作品群をじっくり見て、GWに楽しんでほしい。

2008年4月14日 (月)

『ニキフォル』を観る

Nikifol4_3 副題は”知られざる天才画家の肖像”。2004年・ポーランドの作品。日本では06年に公開されている。言語障害が残る画家・ニキフォルと、彼を献身的に支えた男の物語である。

映画に時々出てくるニキフォルの絵はイコン画だったり、市井の風景画だったり。それを絵葉書大に独特のタッチで描く。観光客相手に売って生計を立てるからだった。

Nikifol3_2 映画は淡々と進んでいく。老人・ニキフォルの小柄な体と、雪に覆われたポーランドの、とある町並みのコントラストがとても綺麗だ。

なにより驚かされるのは、ニキフォルを演じた役者がクリスティーナ・フェルドマンという女優だったことである。知らずに観たら、とても老婆とは思えない。フェルドマンは映画の公開の3年後に亡くなっているが、ポーランドでは大女優なのだそうだ。

Nikifol5

ニキフォル自身は71歳まで生きた(1895-1968)が、世に認められたのは死の数年前だったらしい。まだ幸運だったといわねばなるまい。音楽にしろ演劇にしろ、埋もれた芸術家はこの世界に何万人といる。しかしニキフォルのように障害を抱えた芸術家となると、そう多くはないかもしれない。

その意味では幸運というのも失礼かもしれないが、この映画が製作されなければ、一部の愛好家などを除いて、この画家の存在を知ることはなかったと思われるだけに、製作者の心意気に敬意を表したい。また、是非ご覧になるようお勧めする。

2008年4月 7日 (月)

チャールトン・ヘストン死去

Heston 往年のハリウッドスター、チャールトン・ヘストンが5日死去した。「十戒」や「ベン・ハー」など巨費を投じて製作された歴史映画や「猿の惑星」で知られる。84歳だった。

全米ライフル協会の会長だったことで、保守派の代表的俳優とみられがちだが、60年代には人種差別反対運動にも参加し、全米俳優組合の代表も努めたリベラル派であるという。

2大政党制を敷き(実際にはその他の政党はあるはず)、3選禁止の米国だけに、大統領選挙の年になると、ハリウッドスターが共和党と民主党の両陣営に分かれて支持を訴えることも少なくない。

今年もデ・ニーロがオバマ候補の支持集会に顔を出していたような気がする。概して社会派的な映画に好んで出る役者は民主党支持者が多い。古くはポール・ニューマンやジョン・ボイト(アンジェリーナ・ジョリ-の実父)などは、熱烈な民主党びいきである。

逆に、西部劇や戦争映画のヒーローは共和党シンパだ。ジョンウエインはその代表格。映画では2流だったレーガンは大統領にまで上り詰めた。

最近は耄碌して以前書いたことをまた書いているような気がするが、もう10年位前のアカデミー賞でこんなことがあった。

特別功労賞に、「エデンの東」や「波止場」などで知られるエリア・カザン監督が選ばれた。涙を流して讃えるジョン・ボイトと、憤懣やるかたない表情のエド・ハリス(他にも数人いた)。60年代にハリウッドを襲った”赤狩り旋風”で権力に屈したと見られたカザンは、その後映画界で冷遇され続けた。

50年近く経た現在でも、ハリウッド俳優たちの絆を切り裂いた悪夢が後輩の役者たちにも依然として刻まれていることに驚かされた。

Planet

さてチャールトン・ヘストンといえば、「猿の惑星」である。あのラストシーンはなんとも衝撃的だった。製作が1968年。時代背景を考えると、米国に対する強烈な皮肉だったと見ることもできる。

俳優の政治的立場と、役者としての力量はもちろん同列に扱う筋合いのものではない。しかし、役者の仕事とは、人間を演じることである。両者ににまったく関連性がないのかといえば、おそらくそうではないのではないかと思う。

チャールトン・ヘストンは、2002年にマイケル・ムーア監督が製作した「ボウリング・フォー・コロンバイン 」で、全米ライフル協会の元会長としての意見を求められ、カメラを拒否した。ほんの数分のカットだったが、大物だけに物議をかもした。

2008年2月26日 (火)

レスティング・プレイス

Rsutingplace TSUTAYAの半額セールで「準新作」扱いだったので、てっきりここ1年以内の映画かと思ったら、1986年製作だった。どうりでテーマが古いわけである。

モーガン・フリーマンも、よくここまでダイエットしたなと勘違いした。20年以上前の作品だ。なんでも、「ハリウッド俳優の未公開作品を発掘してリリースする新レーベル「Treasure Hollywood」の第1弾となるドラマ」だそうだ。

洋の東西を問わず人種差別は相変わらず根強く残っているし、良い映画ではある。未公開作品の発掘もそれなりに意義は認めるが、制作年くらいは観る人に告知するのが親切ではなかろうか。

以前、お気に入りの女優・ニコールキッドマンが人気絶頂だった7-8年ほど前、まだスターになる前のチョイ役で出ていた映画まで「主演」と銘打って、ビデオが少なからずリリースされた。ブレイクすると、よくこんな現象がおきるものである。

Johnrisugo 主役はジョン・リスゴー。82年の「ガープの世界」で性転換した元フットボール選手、といえば思い出す映画ファンもいるだろう。味のある演技をする人である。スタローンの「クリフハンガー」で悪役も演じていた。

幅広い演技力を持った役者だ。それにしても、今の今まで見ていて、調べてみたらこれだから、なにか騙されたような気がするといったら、言い過ぎだろうか?

2008年2月12日 (火)

『ディア・ハンター』

Photo この映画は学生時代にクラスの友人と封切館で観たから、30年ぶりということになる。最初の1時間はベトナム戦争に駆り出される前の空騒ぎといった趣で、冗長過ぎる。

当時も鳴り物入りでロードショーされたが、確かいまの時期のように寒い季節で、館内に入ってしばらくすると、睡魔に襲われた記憶がある。それは暖房の効いたところに入ったからではなくて、映画の前半がつまらなかったからだと、今回見直して初めて気づいた。

Photo デ・ニーロの演技も、その後の活躍からすれば凡庸だ。光っていたのは、クリストファー・ウォーケンのほうだ。この写真を見ると、随分老けてしまっているが、いい味を出していた。

厳しい言い方をすれば、数ある反戦映画(というのも好きではないが)のなかで、決して傑作の部類に入らない。情緒に流されすぎているし、なにより冒頭からのシーンは1時間をかけるほどのものではなく、まったく無駄な描写である。また字幕も酷い。

昔を懐かしむためにこの映画を見たわけではなくて、理由がある。それは、この映画に流れる挿入曲「カバティーナ」が、クラシックギターのレパートリーとして弾かれているからである。映画ではどんな演奏していたのかを確認したかった。

ゆったりとした曲だが、弦を抑えるのが難しそうな感じがする。いま専門店に注文を出しているが、届いたら、すぐにでも弾いてみたい。

2008年2月 1日 (金)

『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観る

Photo カストロと並ぶキューバ革命の英雄・ゲバラの青春旅日記である。2人が出会ったのは、同志とともにキューバに向かうメキシコの某都市だったはずだが、ゲバラが解放闘争に芽生える原点ともなった南米横断の旅は、よく知られている。

1950年代の中南米は、キューバも含めて米国資本のやりたい放題だった。豊富な資源と安い労働力、不安定な政情に乗じて、アメリカのメジャーがCIAを後ろ盾に次々と各国を収奪していった時代である。

終わりのテロップに、ロバート・レッドフォードがプロデューサーをしていたので調べてみたら、2人の日記を原作とする映画の構想を長年抱いていたという。レッドフォードが始めたサンダンス国際映画祭に出品されたのもうなづける。

Photo_2 ゲバラ役にガエル・ガルシア・ベルナル、親友アルベルト役はゲバラの実の“はとこ”というロドリコ・デ・ラ・セルナがともに好演している。ベルナルは最近売り出し中のメキシコ人俳優で、ハリウッドのスターにのし上がっている。たしかもうひとつの”ゲバラ映画”にも主演していたはずだ。

ブエノスアイレスからチリ、ペルー、ベネゼラなど各国の美しい風景も堪能できる。ストーリーは淡々としていて、肩が凝らないのもいい。多感な年頃の若者を瑞々しく、しかし誇張や礼賛もなく描いている。

アンチ・ヒーローを描くものではないが、バイクの旅を始めた年から15年後、ボリビア山中で処刑されるまで疾走し続けたゲバラの一面を知るには格好の映画だ。

2008年1月29日 (火)

『それでもボクはやってない』を観る

Photo 評判どおりの秀作である。構想3年。11年ぶりにメガホンを取った周防正行監督の裁判制度に対する視点が光る。

小生が経験したのは民事裁判だったが、それでも原告(こちらが被害者なのだが)として、証言台に着席したときの緊張感は忘れられない。この映画にも出てくるが、支援者がいつも傍聴に集まってくれて、大いに励まされたものだ。

公判を重ねるごとに勝てるのか負けるのか、絶えず気になる。負けるはずがないという思いに支えられてはいるものの、映画のように人を裁くことに何の職業倫理も持たない裁判官にかかると、こういう判決を食らってしまう。

痴漢事件の冤罪被害者の場合、裁判所や検察はどうしてもか弱き女性の味方になって原告のほうにウエートを置いてしまう傾向がある。それに、警察・検察・裁判所は、やっつけ仕事のように、とりあえず処理優先で手っ取り早くホシを挙げることに全力を傾ける。

こういう拙速さを許す裁判制度が、過去どれだけ無実の人々を奈落に落としていったか。映画は制度の矛盾を見事に突いている。

無実と無罪は違う。疑わしきは罰せずともいう。つたない経験から言えることは、他人を欺くことはできても、己を欺くことはできないということである。小生も相手方から散々罵倒され、ウソ八百を並べ立てられた。当時は判決など、もうどうでもよくて、とにかく相手の顔に一発!、と怒り心頭に発したものだった。

しかし、よくよく考えると、そんなウソを並べても、いずれ良心の呵責に耐えられまいと、相手が可哀想に思えてきた。

とはいえ、間違いは間違いである。やっていないものをやったと認めるのもまた、自らを欺くことになる。それを跳ね返すだけの労力たるや、並大抵ではない。それだけ日本の裁判は長々しくて、矛盾に満ち満ちていて、しまいには打ちひしがれるような結論を浴びせるのである。

幸いというか当然というか、小生の関わった裁判はいずれも完勝に近かったが、それは周囲の励ましと優秀かつヒューマンな弁護士、適切な判断を下してくれた裁判官のおかげであった。

この映画は残念ながらハッピーエンドで終わらない。その余韻が裁判制度に潜む陥穽を示してくれている。

2008年1月21日 (月)

『バベル』は面白くなかった

Babel TSUTAYAのレンタル半額セールで、週末DVDを立て続けに鑑賞した。『バベル』『クイーン』『ゾディアック』の3本である。

『バベル』が最もつまらなかった。モロッコ、アメリカ、日本の3地域で起きる悲劇を無理やりリンクさせているが、ストーリーが陳腐過ぎる。ブラッド・ピットやケイト・ブランシェットというハリウッドスターが出るというだけで、観る価値はない。

菊地凛子も、少しも魅力がない。どうしてこんな駆け出しのタレントがアカデミー賞・助演女優賞候補になるのか、理解に苦しむ。

Zodiac 『ゾディアック』は作品の出来栄えとしてはいまひとつ。『ジャーヘッド』『 ブロークバック・マウンテン』で好演したジェイク・ギレンホールがジャケットにあったので選んだ。

この人はまだ20代後半なのに、演技がとても上手い。11歳で初めてスクリーンに登場したというから、若くして色々な演技経験を積んだのだろう。映画一家に生まれた環境も、自然に演技できる土台を作ったに違いない。

私は密かに、この役者は将来きっと名優になると思っている。いまでもじゅうぶん演技派だが・・・。派手さはないが、観ていて安定感があるのだ。俳優や演奏家を生の舞台で見ると、下手な人は観ているほうが心配になってくることがある。その不安感だけで、演技や演奏は目や耳に入らない。

Queen いちばん面白かったのは、『クイーン』。ヘレン・ミレンの抑制された役作りに感服した。台本も良く出来ている。さすがはアカデミー賞だけのことはある、と納得。ブレア前首相役の俳優もそっくりさんではないかと思えるくらい、顔が似ていた。

この映画で再認識させられたのは、国民が公然と女王を批判するくらい、民意度が高い国だという点である。さすが「マグナ・カルタ」のイギリスである。

2008年1月 6日 (日)

『ビル・ポーターの鞄』を観る

Poter 脳性麻痺による障害を抱えながらも、訪問販売のトップ営業マンとなった・ビル・ポーターの一代記。実在する人物を演じるのは、名脇役ともいうべきウィリアム・H・メイシー。

たまたまチャンネルを合わせたら、この映画(テレビ映画らしい)をやっていた。『Lala TV』というCS局で、普段は滅多に見ない放送局だ。映画の途中からだったが、始まって10分程度しか過ぎていなかったので、ボヤーッとかけていたら最後まで観てしまった。

アムウエイ社のような訪問販売会社がスポンサーになったコマーシャル映画かもしれないが、メイシーが主役をやっていたので、最後まで観る気になったともいえる。だが、この映画を観て初めて、この人の名前を知った。

タイトルは忘れたが、田舎のさえない警察官の役で、ふと思い出したことがきっかけで真犯人を割り出しヒーローになるといった映画に出ていたと思う。もちろん、これも脇役ではあった。

障害に負けずに頑張る人の生涯を描いた映画は珍しくないが、この作品が教えてくれる最も大事なところは、セールス(営業)は人間修行の場のひとつであるという点だ。人に頭を下げてまでモノを売るなど、頭の悪い奴のする仕事だと忌み嫌っていたものだが、やってみると、己が実に底の浅い人間だったことを思い知らされる。これは私の実体験である。

Heren_miren ほかにヘレン・ミレンなども出演している。海外テレビ映画シリーズを観ない(昔は『逃亡者』などよく観たものだが・・・)ので疎いが、この作品にはアメリカのテレビ界で知られた俳優が多数出ているそうだ。メイシーも『ER』で注目されたという。

メイシーのような地味な役者が、こういういい映画に出て名演技をするのを見ると、アメリカのショー・ビジネスは、層が厚いといつも感心させられる。

2007年12月26日 (水)

この映画を観てほしい!

Nicola 以前ここで取り上げた『輝ける青春』(2003年・伊)が、シネフィル・イマジカで放映している。今年は「12月30日 12:00」だけになるが、来年は、「1月10日 14:00」「2月8日 7:30」の2回ある。スカパーあるいはケーブルテレビのCS放送だから、鑑賞できる人は多くないと思うが、昭和30年前後までの団塊世代には、絶対の感動モノである。

放映時間376分(6時間あまり)の長編だから、DVDレコーダーに録画して、あとでゆっくり観るのがいいだろう。このチャンネルのいいところは、映画放映の途中でCMが一切ない点である。同じCSの映画チャンネルに「ムービー・プラス」があるが、こちらは2時間の映画で2回はCMが入る。

まあ、それでも民放の地デジの映画放映のように10分に1回という、視聴者を壟断するような、あくどさはないが、やや大衆迎合的な感のあるムービー・プラスに比べて、イマジカのほうは、『ベルイマン特集』(難解過ぎて楽しめない)や、『ビスコンティ特集』『ルイ・マル特集』などなど、映画通には堪らない企画で楽しませてくれる。

よほどの映画好きでなければ、見落とすか興味を示さないものもあるので、採算が取れているのか心配になるが、イマジカの営業スタンスは見上げたものである。昔の大手映画会社・日活が運営しているのではないかと思うのだが、いまの姿勢を堅持してほしいものだ。

2007年11月28日 (水)

『ブーべの恋人』を観る

Bube何度観てもジンとくる映画である。小学生のころ、おそらく姉が買ったのだろう、主題曲を収録した45回転のシングルLP(ドーナツ盤と言っていた) が家にあって、ライナーノートを読みながら、お皿を何度も回した記憶がある。

クラウディア・カルディナーレが素晴らしく可憐で美しい。第二次大戦下のイタリアで、パルチザンだったブーべが憲兵殺しで懲役14年の刑に服す。

マーラ(カルディナーレ)は、ブーべが逃走している間、別の男性に恋をするが、最後はブーべが刑期を満了するまで、甲斐甲斐しくも待ち続ける、というストーリーだ。

ブーべ役のジョージ・チャキリスは、この映画の前後、『ウエストサイド物語』に出ていた俳優だが、この2作品以外は、あまり聞かない。

凡庸な内容だが、マーラのモノローグで綴る構成で、イタリア映画の典型手法。これもネオリアリズムの名作といってよい。なにより、このテーマ曲が哀れを誘う。

カルディナーレは、ビスコンティの映画にも多く出演しているが、『若者のすべて』でも好演していた。

こういう映画に感動する人は、リリシズムを理解できる人で、本当の映画好きだと思う。

2007年9月13日 (木)

キッドマンにがっかり! 『記憶の棘』

Kiokunotoge 一番のお気に入りであるキッドマンの映画が、最近つまらない。『遥かなる大地へ』(1992)、『冷たい月を抱く女 』 (1993)、『誘う女』  (1995)、『ある貴婦人の肖像』 (1996)、『アイズ・ワイド・シャット』 (1999)  あたりの8年間が最もスクリーンで生き生きとしていた。

この作品は、『プラクティカル・マジック』 (1998)、『 バースデイ・ガール』 (2002) 『ステップフォード・ワイフ』(2004) に続く失敗作の部類に入る。

内容はあえて書かない。批判もしない。コメントする気になれないレベルの映画である。

あれほどの美貌と演技力がありながら、キッドマンはなぜ、こうも駄作や失敗作に出るのか。映画会社との契約上、いやでも出る必要があるのだろうか。

とはいえ、いまハリウッドで最もギャラの高い女優である。自ら脚本を選んでいかないと、ただの美人女優になりさがってしまう。

大ヒット作『羊たちの沈黙』に出演し、その続編が気に入らなくて出なかったジョディ・フォスターのように、台本が気に入らなければ断れる地位にいると思うのだが。

Photo 『アイズ・ワイド・シャット』 のころのキッドマンが一番いいと思う。相方はちょっとおかしな道に進んでいるようだけれど・・・。

2007年7月 6日 (金)

『ブラック・ダリア』を見る

325047view008 ブライアン・デ・パルマは、私のお気に入りの監督のひとりである。最初に見たのは『ボディ・ダブル』(1984年)。パルマが敬愛するヒッチコック同様、この人の作品には、妖艶でセクシーな女優が必ず登場する。たとえ、映画がつまらなくても、その女優が見れただけでもオトクだという、思いにしてくれる。

この『ブラック・ダリア』も、人気急上昇中のスカーレット・ヨハンソン、『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のオスカーを取ったヒラリー・スワンクが目の保養をさせてくれる。

作品自体はストーリーが非常につかみにくい、難解な映画である。編集作業の失敗なのか、フラッシュバックに無理があったのか、登場人物の相関関係が読みづらい。

325047view002 レンタルビデオに足を運んで、借りる作品に迷ったらこの1枚、という程度である。残念ながら、前作の『ファム・ファタール』には及ばない。

2007年5月 8日 (火)

『無防備都市』を観る

Ivcf2154 『無防備都市』(1946年・伊)を観る。この映画を初めて観たのは、9歳のころだと思う。

生まれ育った地方のローカル局では当時、午後2時から5時くらいまで、テストパターンと呼ばれる放送休止の時間帯があり、昔の日立製作所のロゴマークのような形をした画面が静止画像のまま、BGMを流していた。

しかし、テストパターンのない日もあって、そこで古今の名画を字幕で放映していたのだった。1960年代前半のことである。そのころ観た映画のひとつがこれである。そんな幼い時代のことを、なぜそこまで覚えているかと言うと、珍しいタイトルなので、ずーっと記憶に残っていたのだ。

今回、ウン10年ぶりに観たが、当時の記憶はまったく甦ってこなかった。しかし、改めて深い感動を覚えた。

反戦映画といってしまえばそれまでなのだが、ラストシーンでレジスタンスに協力した神父がナチに銃殺されたあと、金網越しに見つめていた子供たちの、がっくりと肩を落として家路に着く後ろ姿を淡々と追うカメラワークが、ネオリアリズムの象徴的場面だと思う。

Pcbh50099 イタリア映画は、伝統的に子供を上手く使う。同じ年に製作されたデ・シーカの『靴みがき』や『自転車泥棒』、ピエトロ・ジェルミの『鉄道員』などがそうである。

いずれも、心洗われる名品の数々だ・・・・。

2007年5月 6日 (日)

ウェズリー・スナイプス

Snips 単なるアクション俳優ではなく、芝居の基礎を学んだ役者だな、と以前から思っていたが、調べてみると高校時代に友人と劇団を作って活動していた、という。

『デトネーター』『ザ・マークスマン』『7セカンズ』の3本で「ウェズリー・スナイプス大運動会」と銘打って連続公開された。どれも観たが、スカッとしてテンポが良くて、スナイプスの折々に見せる表情が光る。

アクション映画だけではなくて、シリアス映画も観てみたい。最近のハリウッド映画は、黒人俳優なしには、興行上も成り立たないのではないかと思えるほど、活躍する人が多い。

Snipes2 今年のアカデミー主演男優賞も、名前は忘れたが、黒人俳優(C・イーストウッド監督の『チャーリー』(ジャズマンのチャーリー・パーカーの生涯をを描いた映画)の主演をしていた)が受賞した。

ハリウッドの中でも、いまだに人種差別は残っているだろうが、好きな俳優をざっと挙げてみても、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン、ドン・チーゲル、サミュエル・ジャクソン、etc。わざわざ黒人俳優と区別するのは馬鹿げていると思えるほどだ。

その昔、『招かれざる客』や『夜の大捜査線』などに出演したシドニー・ポアチエは、名優でありながら、評価は低かったように思う。つい最近、アカデミー賞で功労賞かなにかを受賞した筈だが・・・・。

ウェズリー・スナイプスの独特の、一風変わった風貌は、なんともいえない魅力を秘めている。

2007年4月 6日 (金)

『鉄道員』を観る

Tetudouin BS2で久しぶりに観たが、やはり何度観ても泣かせる。ストーリーは、あらかた記憶しているのに、ホロッとする場面になると、涙腺が緩んでくる。『自転車泥棒』でもそうだが、監督のピエトロ・ジェルミは子役の使い方が実にうまい。

ネオ・リアリズムの代表作であるこの作品、今回の鑑賞で気づいたことがあった。同じイタリア映画で、密かに不朽の名作と考えている『輝ける青春』での役柄の名前(サラとジュリア)が同じということである。

20050512001fl00001viewrsz150x 大した発見でもないが、『輝ける青春』の監督・マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ はピエトロ・ジェルミを敬愛し、この映画の登場人物と同じ名前を配役につけたのではないか。「家族愛」をテーマにした映画という点で2つの作品は共通しているからだ。

末っ子のサンドロが、父親と長男・長女との不仲の原因を母親のベッドにもぐりこんで尋ねる。母親はしんみりと、こう答える。

「それは、話し合ったことがないからよ・・・」

この映画のなかで、最も重い台詞である。

2007年2月25日 (日)

凡庸な『誰が為に鐘は鳴る』

Ujsd34008_1 なんとも凡庸な作品だった。原作は読んでいないので、ヘミングウエイの意図がどれだけ反映されているのか分からない。

しかし、スペイン内戦についてまったく触れることなく、国際義勇軍の一人である主人公・ロバート(ゲーリー・クーパー)の崇高な?心情を理解しろといわれても無理な話だ。バーグマンとの顔見世興行でしかない。

名作と言われていたが、最後まで観る機会がなかった。全編を通してみると、原作はいざ知らず、この映画は駄作である。『カサブランカ』や『風と共に去りぬ』などと比ぶべくもない。

ゲーリー・クーパーという役者は、有名なわりに名作の出演がない。名演技でうならせるわけでもないし、個性の感じられない俳優のひとりだ。

25599thumb002 グレゴリー・ペックも、ハリウッドでは大根役者といわれたそうだが、「アラバマ物語」で名演技を見せた。『ローマの休日』もよかったし、俳優の権利と地位向上にも取り組んだそうだ。

年をとると、なかなか人の名前がでてこないものだが、それは印象が薄いからでもある。残念ながら、ゲーリー・クーパーもその一人だ。

2007年2月24日 (土)

『悪名』を観る

061220140942_181 またしても勝新太郎である。時代設定はシリーズ前半は戦中から戦後間もない焼け跡闇市のころ。第1作は1961年。柏戸・大鵬が同時横綱昇進して、柏鵬時代が始まり、東ドイツではベルリンの壁ができ、東西冷戦構造が頂点に達した年である。

『兵隊やくざ』は1965年からの製作だから、『悪名』はそれに先駆けてのシリーズ化だ。じつに16作。相方は田宮二郎。軽薄で飄々としたところが良い。大映のヤクザ路線は、東映のそれとは少し趣が違っていて、人情の濃い部分を前面に出すところがあるように見える。

061220140942_242 第2作だったか、勝新演じる「八尾の朝吉」が出征するシーンがある。『兵隊やくざ』とダブルようで、可笑しかった。

田宮二郎は、山崎豊子原作の文芸映画に出演したことで注目され、この作品に抜擢されてスターにのし上がり、『白い巨塔』で地位を不動のも荷にした。しかし1978年、43歳のときに猟銃自殺を遂げる。

田宮二郎は京都生まれなので、小気味の良い関西弁がさえ渡る。色々と調べてみると、大映との確執で映画界を追放され、テレビに活躍の場を移した。

勝新も66歳と、まだまだ活躍できる年齢に世を去った。

『悪名』は日本映画専門チャンネルで3月からも月4本のペースで放映する。

楽しみだ・・・・。

2007年2月 1日 (木)

『兵隊やくざ』を観る

061124172651_924 『兵隊やくざ』(1965)をたっぷり堪能した。シリーズはこのあと8本続くが、第1作と最終作は、あの増村保造監督である。

私が見逃したのは、小山明子がヒロイン役で出る『続兵隊やくざ』(1965)だけで、あとの7本『兵隊やくざ 大脱走』(1966)、『新・兵隊やくざ』(1966)、『兵隊やくざ 脱獄』(1966)、『兵隊やくざ 俺にまかせろ』(1967) 、『兵隊やくざ 殴り込み』(1967)、『兵隊やくざ 強奪』(1968)、『新兵隊やくざ 火線』(1972)は、立て続けに録画して、いまも時々鑑賞しなおしている。

061124172651_951 この映画の見所はなんといっても、大宮一等兵(勝新太郎)と有田上等兵(田村高広)の絶妙のコンビが見せる痛快活劇ぶりである。舞台は旧満州。敗戦色の強くなった太平洋戦争末期の軍隊で、脱走を繰り返す2人のヒューマン映画であり、見方を変えれば反戦映画でもある。

まあ、そんな決め付けはどうでもよく、理屈ぬきで愉快な映画だ。2人と脇を固めるその時々の役者(成田三樹夫、渡辺文雄、藤岡琢也etc・・・)とヒロイン(嵯峨美智子、安田道代、渚まゆみ、野川由美子etc・・・)も素晴らしい。第一作は2時間だが、そのほかは80分前後と、ちょうど見ごろの長さなのもいい。

昔からこの映画は好きだったが、改めて観ると、日本映画の作りこみ方は世界に劣るものでないことが、よーく分かる。

061124172651_926 最終作の『新兵隊やくざ 火線』は日中国交回復の年に当たり、シナ人といわず中国人と表現していた。またこの作品は、勝プロ製作、東宝配給である。前年に大映が倒産したからに違いない。国交正常化と製作形態の変化という背景があるせいか、少し消化不良の感がする。

けっきょく、シリーズはこれで完結するが、この作品は前作のストーリーを継承していない。興行的に成功すれば、再シリーズ化もあり得ただろうが、残念ながら、時代がそれを望まない時期に突入していた。勝新はその後、座頭市シリーズ(『兵隊やくざ』と同時期に作られてはいた)で活躍することになる。

勝新太郎は、やはり稀代の名優である。

2007年1月26日 (金)

『終身犯』を40年ぶりに観る

16348 『終身犯』(1961 監督・ジョン・フランケンハイマー )を観た。確か、小学5年のころに当時の『土曜洋画劇場』で観たので、約40年ぶりである。そのときは2時間枠で吹き替えだったので、今回BS2で見るのは完全版である。このジャケットはあとからカラーに合成している。モノクロの映画なのだから。

DVDでは、「日本語吹替音声については、現存するテレビ放送当時のものをそのまま収録しております。そのため一部音源のない部分は字幕スーパーとなっております。」との断りがある。

バート・ランカスターの代表作でもある。昔観た時にも感動したが、改めて完全版を見ても、面白い。ただ、鳥の飼育・研究に没頭できた監獄から、移送されて余生を送るあたりは記憶になかった。終身犯が鳥研究の世界的権威になるという設定だけが焼きついていた。あるいはテレビではカットされていたか。

製作年次と、私が昔観た年を考えると、テレビ放映は劇場上映から数年しか経っていない計算になる。そのころは、例の淀川長治さんの司会で人気があったその番組も、意外に新作を放送していたということになる。

しかし自慢めいて恐縮だが、あの当時、この映画をテレビで観ていた小学5年生がいったい何人いただろうか? それを思うと、少し鼻が高くなる。

2006年12月29日 (金)

トリュフォー特集

D110494046 シネフィル・イマジカ(CS放送)でトリュフォーの映画を数本観た。『大人は判ってくれない 』(1959)は、デビュー作。自伝的要素の強い内容らしいが、ラストが印象的だ。

D111302162『終電車』(1981)は、ナチス・ドイツ占領下で、脚本家であり支配人でもあるユダヤ人を守る劇場関係者の物語。小生が中学時代から愛してやまないF・ドヌーブが相変わらず美しい。ジェラール・ドパルデューも好演している。

4233『 隣の女』(1981) は同年の制作。ファニー・アルダンとジェラール・ドパルデュの主演。実は、結婚する前、カミさんと初めてまともな映画館(新宿のシネマとうきゅうスクエアだったか?)で観た最初の作品である。

それまでは、金がないので安い名画座でヒッチコックなど観ていた。四半世紀ぶりに観ると、そのころの時代を思い出す。日本では83年ころの封切りだったと思う。

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日曜日が待ち遠しい!』(1982)は、遺作である。再びファニー・アルダンが登場、これもお気に入りのジャン・ルイ・トランチニャンとの掛け合いが絶妙である。

トリュフォーは当初映画批評家だったらしいが、ニヒリストでもあり大いなる不満家でもあったように思う。また、しゃれっ気もある。

フランス映画は一時期の低迷を脱しているようにも見えるが、  トリュフォーやクロード・ルルーシュのような、いかにもエスプリの効いたフランス映画は少ないような気がする。

2006年12月 2日 (土)

『きみに読む物語』

Cs 夫婦愛の物語である(2004年公開)。『グロリア』(1980)などで好演したジーナ・ローランズと、『大脱走』で飄々とした芸達者ぶりをみせていたジェームス・ガーナーの2人の、ベテランらしい渋い演技が光る。若い時の2人を演じた役者も好感が持てる。

昨日、ビスコンティ特集の『熊座の淡き星影』を録画再生して観たあとだけに、ホッとするような映画だった。破滅や閉塞をテーマにしたビスコンティ作品を続けて鑑賞するのは、気が重くなる。

003_1 J・ガーナーは、その、『大脱走』以来久しく観ていなかったが、この年齢になるまで現役を続けていたことに驚いた。観ている途中で往時の面影が思い出された。やはりハリウッドの映画界は層が厚い。

老境に入ってもなお、愛し合い認め合うことは、素晴らしい。この映画では認知症になった夫人の記憶を呼び覚ますため、夫が過去の2人の思い出を読んで聞かせ、記憶を甦らせるドラマになっている。

現実は映画のようにいかないことは百も承知だが、優しい気持ちを持ち続けるのは、夫婦であれ友人であれ、決して簡単なことではない。また、ただ優しいだけが思いやりでもない。

心に残る映画である。

2006年11月30日 (木)

郵便配達は2度ベルを鳴らす

Nidoberu 1942年の製作ということは、第二次大戦の真っ盛り。ムッソリーニ政権下での映画公開だったのだろう。

原作を読んでいないが、タイトルの意味するもの(暗喩)が映画を見てもつかみ難い。テーマ探しの旅が映画の唯一の鑑賞方法ではないから、面白かったか、そうではなかったかで評価を下しても構わないわけで・・・。

ただ、戦時下のイタリアの寒村に生きる人々の心持ちはどうだったのか。その辺を、推理小説のシナリオを借りてビスコンティが描きたかったものは、閉塞感だったのではないか。

Yubinhaitatu2 こちらは1981年の同名映画の製作。ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングの「キッチンセックス」ばかりが話題になった。記憶が薄れているが、イタリアが舞台ではなかったはずだ。もともと米国の作家の手になる小説だし、こちらが原作に忠実なのかもしれない。

本当は、この前後2作の間に、もうひとつ『郵便配達は2度ベルを鳴らす』が作られているような気がするのだが・・・。

男性役はジョセフ・コットンかウィリアム・ホールデンのような気がする。

2006年11月27日 (月)

『若者のすべて』を観る

Rocco 1960年製作(公開?)と聞いて、ひょっとしたら『太陽がいっぱい』と同時期ではないかと思ったら、やはり同じ年の製作だった。アラン・ドロンが瑞々しくて素晴らしい。

アニー・ジラルドもいい。この人は出演作を見てみると、これといった話題作には登場していない。イブ・モンタンとの共演が目に付く程度だが、なぜか記憶に残る美人女優だ。

いやー、小泉J1郎ではないが、「感動した!!」。最初はやたら会話が五月蝿いばかりで、これがネオリアリズムの代表作かと期待はずれに終わるかに思えたが、それは後半の、なんともやるせない悲劇のために用意したビスコンティの周到なイントロだった。

小生もまだまだ修行が足りない。こんな映画をこの年まで見逃していたとは。半可通とは、拙者のことを指す。

今週は、『ニューシネマパラダイス』のなかでも出て来た『揺れる大地』と、高校生のときに読んで不思議な読後感を持った『異邦人』(マストロヤンニに期待!)が楽しみだ。

ビスコンティと市川昆

Rudovihi BS2で連夜放送しているビスコンティ特集を観ている。大学時代、東京・三鷹の名画座だったろうか、3本立てでビスコンティの映画を観に行ったことがある。1本終わって場内を見渡すと、クラスメイトが数人いて声を掛け合ったことを思い出した。

三鷹の映画館では『ルードヴィヒ』は別の日に上映されていたはずで、私が観たのは、『家族の肖像』『イノセント』、もう1本は記憶がない。今回初めて観たが、『ルードヴィヒ』は、後期のビスコンティ映画では秀逸の出来ではないか。

とくに主役のヘルムート・バーガーが良い。ワーグナーの悪妻だったコジマ夫人を演じるマンガーノも、ビスコンティ組の常連で素晴らしい。4時間の大作だが、お勧めだ。

Kazokunosyouzou 『家族の肖像』はCS放送で観る。学生のときは、多分寝ていたのだろう。なにせ、ビスコンティの3本立てというのは、禅寺の苦行に等しい。四半世紀ぶり?に見直してみると、奥の深い映画ではあった。学生風情ではちょっと理解し難い。

最近はイタリア映画づいているが、この国の映画制作の実力は底知れない。

Hakai 一転して市川昆監督の『破戒』である。内容に関しては必要あるまい。いつ観ても泣けてくる名作だ。監修に松本治一郎の名があった。部落解放をテーマとした名画を鑑賞するにつけ、最近の同和行政に巣食った一部の増長者の跋扈は、なんとも情けない。

来週も引き続きビスコンティ特集、市川昆特集(CS放送)があるようだ。仕事の邪魔をされて、嬉しい迷惑である。

2006年11月15日 (水)

『夜よ、こんにちは』を観る

Moro 1978年にイタリアで起きた「赤い旅団」によるモロ首相誘拐暗殺事件をテーマに作し映画である。主役のルイジ・ロ・カーショとマヤ・サンサは、私のお気に入り『輝ける青春』でも競演していた。この2つの作品は、監督は違うが、いずれも2003年の製作である。

期待が小さくなかっただけに、正直がっかりした。2人を見るだけでも私なりの楽しみは満たしてくれたものの、シナリオが良くなかった。ピンクフロイドの懐かしい音色も秀逸ではあった。

タブー視されていたテーマを取り上げたという点で、識者には合格点なのだろう。邦訳のタイトルがいけない。スクリーンに目を凝らしてみていたところ、原題はたしか『THE BITTERS END』ではなかっただろうか?

どうせ、50がらみの年代にしか記憶にない事件なのだから、『苦い結末』でよかった。いかにもイタリア的なタイトルではないか? 確かよく似たタイトルの映画が、デ・シーカの作品にあったような気がする。苦い米?

Paradiso 思い立ってイタ飯を食いたくなる知人のように、私もイタリア映画の飲みなおしをしたくなって、深夜の仕事を1時間だけ切り上げて『ニューシネマ・パラダイス完全版』を3日がかりで観た。

完全版は、主役のトトが青年時代の恋人と30年ぶりに再会するシーンが挿入されているのが通常版と異なる。これをブーブー言う輩がいるが、理解に苦しむ。おそらく若い世代の人たちではないか。

老いらくの恋が入ろうが入るまいが、作品の流れは少しも劣らないばかりか、却って感動を増幅させている。

04m この恋人こそ『禁じられた遊び』で涙を誘った少女・ブリジット・フォッセーである。老年にさしかかったトトは、これまた私の好きな仏映画『流れ者』(1970)や、ギリシャの反政府抵抗運動を描いた『Z(ゼット)』(1969)でイブ・モンタンと競演したジャック・ぺランである。

それにしても、小学生のころから洋画をよく見てきたものだと、我ながら感心してしまう。20年前、ある海外ツアーで同伴した老年の方と映画談義に花が咲いたことがあったが、「その年で昔の洋画をよく知っている」と褒められ、いい気になって話し込んだことがあった。

映画ライターになっていたら、いま以上に貧乏だったことは間違いない・・・。

2006年8月28日 (月)

『アフガン零年』を観る

N_640uld201ps 2年ほど前だったか、この映画の「メイキング」をNHK特集で放映していた。機会があればぜひ見たいと、当時思っていたが、まさかDVDになるとは予想外である。

主人公の名はオサマ。監督のセディク・バルマクは、タリバン政権下および「9.11」テロで一躍名を轟かすことになった人物の名をつけることで、鑑賞者の目をアフガニスタンに引き付けたい狙いがあったと思う。

中味については触れないが、実生活では孤児だった主人公の少女のあどけなさ、いたいけな表情が、とても美しく、もの悲しい。NHKのカメラが捉えていた演技指導での涙のシーンも想起されて、胸に迫るものがあった。

アフガニスタンは79年-89年の旧ソ連軍駐留後に内乱状態となり、96年にイスラム原理主義のタリバン政権が実効支配した。このときの反対勢力は「北部同盟」を組織した。01年の「9.11」テロ直後に米国が侵攻してタリバン政権は崩壊し、現在「北部同盟」を中核にしたカルザイ政権(大統領)に至っている。

それにしても、である。タリバン政権がこれほどの女性蔑視を政策として実行していたのか少々疑問は残る。監督は「北部同盟」のもとで映画制作に携わっており、この映画は反タリバンキャンペーンの一環でもある。監督自身これを否定はしていない。

救いは、この女の子が現在は施設に通い、勉学にいそしんでいるという事実である。映画が訴えるメッセージに虚飾はないと信じたいし、そのストーリーはあってはならない出来事である。

優れた映画は国籍を問わないが、これまで観た経験から言うと、イランやトルコをはじめイスラム圏の映画は秀逸なものが多いような気がする。それから、いまはやりの韓国映画だが、私が好きなのは、1980年代に作られた暗い映画である。

中東・アジアの映画にもっと目を向けてほしい。また主役の女の子には是非女優の道を歩んでほしいと思う。

2006年8月18日 (金)

『半落ち』を観る

D111077070 刑事(警察)の俗語だろうか、映画の前半にでっち上げの調書を取ったときに、「これで完落ちだな」とのセリフが出てくるのと考え合わせると、タイトルは全面自供しなかった(半分は自供した)という意味と思われる。公開時は話題になったようだが、ストーリーも出来栄えも凡庸である。

それよりなにより、大嫌いな吉岡秀隆が出ていたのはショックだった。この映画では裁判官の役で出ていた。露出度は大したことはなかったが、大事な役割を担っていた。シリアスドラマが台無しである。ぶち壊しである。

この人は、役者と呼べるだけの技量と個性がまったくない。さらに童顔で滑舌(セリフの言い回し)が恐ろしく下手である。喜怒哀楽の表情がいかにも陳腐。俳優など仕事にしてはいけない。

私はこの男の周囲に映画業界の重鎮か何かの血縁者がいると、勝手に確信している。「寅さん」に出ていた幼時のころからだ。そうでなければ、この映画もそうだが、話題作や名監督の映画に抜擢されるだけの実力がないではないか。

いま東映の社長をしている岡田裕介は1970年、確か芥川賞を受賞し映画化された「赤頭巾ちゃん気をつけて」に初出演し、いきなり主役を演じた。ずぶの素人が社長の息子というだけでである。

吉岡某も、その筋の者ではないだろうか。そうとでも考えなければ、あのレベルで主役級など張れるものでない。

私は学生時代、芝居をかじった経験があるだけだが、それでも分かる。職業選択の自由はあるが、お願いだから、少なくとも私が観たい映画にだけは出ないで欲しい。

2006年7月14日 (金)

「レイ」を観る

Photo_2 言うまでもなく、盲目のソウル歌手レイ・チャールズ(Ray Charles  Robinson・1930年9月23日 - 2004年6月10日)の伝記映画(2004年製作・テイラー・ハックフォード監督)である。

主役を演じたジェイミー・フォックスはアカデミー主演男優賞を受賞した。 レイ本人は撮影半ばで死去したが、その演技ぶりにレイ自身驚嘆したという。

満面の笑みで、体をのけぞらせて、ゆらしながら歌う独特の姿をよく捉えていて、栄冠を手にしたのも頷ける。

2時間半近い映画で、またミュージシャンを描いた作品は出色のものが少ないだけに、正直、期待していなかった。しかし、優れた映画がみなそうであるように脚本と演技が素晴らしい。

改めてレイ・チャールズの歌を聴いてみると、ヒット曲が実に多いのに驚く。それを、プレスリーなどの大御所がリバイバルで歌ってまたヒットする。エルビスが熱唱する『I CAN'T STOP LOVING YOU(愛さずにはいられない)』 は、私のお気に入りだ。

盲目のソウル歌手といえば、スティービー・ワンダーがいる。レイ・チャールズに劣らないビッグネームだ。ヒット作も数知れない。

彼の生き様を、後年、名優がスクリーン上で演じることがあるだろうか?

2006年6月 4日 (日)

『輝ける青春』を観る

060603 2003年、イタリア・監督マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ。『輝ける青春』は05年に「岩波ホール」で上映されて話題を呼んだというが、まったく知らなかった。

僕の瞳の光』『ペッピーノの百歩』で主演したルイジ・ロ・カーショに惚れ込んだウチの上さんが、是非観たいというので、わざわざ都心部のTSUTAYAまで足を運んで借りた。

これは、『ニューシネマパラダイス』以来のイタリア映画不朽の名作と言っていいだろう。小泉J1郎ではないが、「感動した!!」。6時間に及ぶ大長編ながら、一気に見せる。

1960年代のローマを舞台に、2人の対照的な兄弟の経験を通して、時代と家族の絆を浮き彫りにした人間ドラマ。イタリアのとある家族の40年間を、涙や喜びと共に綴っている。

060604a_1 これは、60年代から現代に至る一大叙事詩である。この映画が感動を呼ぶのは、すべての登場人物が自己に忠実で他人に誠実な点である。思いやりや忌憚のない批判を交わしながらも、自分の理想を追い求め、相手のことを尊重する生き方を貫くのである。

そうした生き方を実践していけば、どうしても挫折が生じ、悲喜劇に遭遇する。そこが物悲しく切ない。しかし、イタリア映画特有の明るさも盛り込んでいて、また各地の景勝地にもカメラが回る。行き届いた作品である。

060604b マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督は1950年生まれ。日本で言えば、”全共闘世代”である。政治の季節に青春時代を過ごした。その時代を後年になって家族愛の観点から見つめ直すという困難な仕事を見事にやってのけた。

イタリア映画は、『鉄道員』『自転車泥棒』以来ずっと、ネオリアリズムを製作の基本線においているのではないかと思う。それは、家庭内の問題であれ、政治課題であれ、真摯な目で見つめ、探求する姿勢である。そこに悲哀があり笑いがある。浪花節の好きな日本人にとって、イタリア映画はいつの時代にも受け入られる素地があるのは、そうした特性によるのではないか。

『輝ける青春』を是非観てほしい。

2006年5月14日 (日)

ビリー・クリスタルのこと

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ビリー・クリスタルは、メグ・ライアンと共演した「恋人たちの予感」(1989)で初めて見た。このときは、作品の出来もさほどでなかったので、気になる役者ではなかった。

「アナライズ・ミー」(1999)では目を見張った。”ノイローゼになったマフィアのボスと強引に彼の主治医にされた精神科医のおかしな関係を描いたコメディ”(goo映画より)だが、その名演技は、デ・ニーロを凌ぐほどであった。

マフィアの幹部会議が開かれる日の朝、デ・ニーロはノイローゼが再発、窮余の策でビリーが代役を務めるラスト近くのシーン。ボスらしい振る舞いをさせようと指図する巨漢のボディガードにビンタを張る場面は圧巻だ。

D111608647次作の「アナライズ・ユー」(2002)では、デ・ニーロらと連れ立って食事するシーンが光る。妻に飲みすぎないよう釘を刺されるビリー・クリスタルは、「なに、ひと舐めするだけさ。大丈夫」と言ったものの、へべれけに酔う。泥酔して回らなくなった口の動かし方は誰にも真似の出来ない、迫真の?演技である。

とにかく、のた打ち回るほど腹がよじれる。それくらい笑わせる。これだけ器用な演技をすると、却って他の役者のねたみを買うのではないかと思わせる。

D110700494 似たような芸達者といえば、ロビン・ウィリアムスか。2人が競演した「ファザーズ・デイ」はまだ観ていないが、期待を裏切らないに違いない。

ビリー・クリスタルは自ら製作や脚本、監督も手がける。ハリウッドにはそうしたスターは珍しくない。

日本の役者で彼らのようなポジションにいるのは、西田敏行くらいだろう。「アナライズ」シリーズは必見である。是非観てほしい。

2006年5月 4日 (木)

「ヒトラー 最期の12日間」を観る

D111543071 このポスターが以前から気になっていた。原題は「Der Untergang (滅亡)」の由。2004年のドイツ・オーストリア・イタリア共同制作だ。

「Wikipedia」から引用すると、ヒトラーの女性秘書を3年間務めたトラウドゥル・ユンゲの証言を下敷きに、1945年4月のベルリン陥落直前のヒトラーや総統官邸の人々の人間臭さを生々しく表現したドキュメンタリータッチの作品である。

ヒトラーを人間的に描いたために賛否両論が起きたそうだが、面白かった。ヒトラー自身を役者が演じるのは、初めてではないかと思っていたら、やはりそうだった。

Chappurin チャップリンが演じたのは映画「独裁者」のなかのヒンケルという架空の人物で、このときは、床屋の親父との2役だった。

それだけに、ヒトラーを”演じた”映画としては史上初ということになる。これは意外に思える。まだその残党がいて、憚れるのか。あるいは、どう描いても題材にすること自体タブーなのか。

特に傑作というほどでもないが、先に書いたとおり、役者がヒトラーを演じることに意味のある映画だ。

Ivcf2177 ナチスを描いた作品としては、レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」がベストである。べルリン五輪のドキュメントで、ナチの宣伝映画で、ヒトラーが監督を指名して作らせた。カメラのアングルや効果音など素晴らしいの一語に尽きる。

ナチズム賛美の作品を賞賛すると批判を受けそうだが、監督自身はそういう意図を持ってカメラを回したようには思えない。冒頭こそ、党大会の大写しがあるが、多くはスポーツドキュメントである。

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全体の印象としては、ビスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」から退廃さを消して、リアルさを加味した作品とでもいおうか。

2006年4月28日 (金)

「父、帰る」を観る

D111350225「父、帰る」をDVDで鑑賞した。 2003年にヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したロシアの作品である。母子家庭の二人の少年と、12年ぶりに突然帰ってきた父親との小旅行を描く家族劇---、という作品紹介が「映画goo」に載っている。

メッセージが伝わってこない、という意見があるようだが、この映画は秀逸である。どんなメッセージが込められているかといえば、12年の空白を父親なりの方法で埋めようとしたが失敗した、という悲劇性である。

しかし、映画のメッセージ性などは、観ていて感動すれば、あえて求める必要はない、というのが小生の考えである。作品完成の直後に、父親役のロシア人俳優が亡くなったのは、もっと悲劇的だ。6歳で父親と生き別れになった当方としては、とても感動した。

小学2年生のときのこと。午後の体育の時間、運動場で駆け回っていると、担任の女性教師がやってきて、「いますぐ着替えて下校しなさい」という。正門を遠めに見ると、こちらを凝視し突っ立っている父の姿が目に入った。

年に2、3回はこうしてフラリとやってくる父に親しみはあまり感じなかった。しかし、その後の行動はよく覚えている。バスに揺られて30分、地方の小都市に着き、デパートの屋上にある観覧車に乗った。

このころから、高所恐怖症だった私は、すぐにでも降りたかったが、父の気持ちを察したのか、我慢した。そのあと、階下のレストランでオムライスを食べる。美味であった。

後日、小学校の国語の時間に「お父さんが来た」という題名で作文を書く。数日後、担任の教師は、涙を抑えて「よくできました」と褒めてくれた。良くできたのに、どうして先生は泣くのだろう、と不思議な思いがした。私にとって「父」は他所(よそ)から「やって来る」人だった。

母に作文を渡し、担任の様子を伝えた。母は黙り込んだ。私の行いは、大人たちにとって、あまり歓迎すべきことではなかったようだった。

そんなことを思い出す映画だった。

2006年4月 2日 (日)

「覇王別姫」を観る

3月は、2回しか投稿できなかった。昼も夜も仕事という感じで、余裕がまったくなかった。100万の愛読者に謹んでお詫びしたい。

昨日は2ヶ月ぶりにゴルフをした。久しぶりの手引きカートで、下半身ががくがくになり、帰宅してもぐったりであった。

そんななか、CS放送で「覇王別姫」(1993年・香港・監督=チェン・カイコウ)を観た。9402bekki

とても感動した。以前、ゴーストライティングの仕事をしたその相手(芸能プロダクションの社長)が、「見るともなく見ていたら、惹きこまれて激しく感動した」と感想を語っていたのを記憶していて、いつか見たいと思っていた作品だった。

3時間近い大作で、清朝末期から文革以後の激動・中国を生き抜いた2人の京劇役者兄弟の物語である。私は、この2人よりもコン・リー演じる「菊仙」に共感した。

兄が紅衛兵の自己批判に晒されて自己保身を図り、妻の菊仙を見捨てる場面が痛々しい。故淀川長治さんは、生前、「この事実(注:政治的背景)が映画にとって邪魔である」と語っている。

映画を貫くのは、「覇王別姫」という、王と姫の物語を幼いころからコンビを組むうち、兄弟の関係が同性愛にまで昇華する前後の葛藤劇だ。

しかし、映画の冒頭で、「4人組がいなかったら・・・」と早くも、現代中国の権力闘争を嘆くシーンが出てくる。政治と無縁では成立しなかった映画であるのは、疑いない。

にしても、主役2人とコン・リー、さらに子役時代を演じた多くの少年俳優も含めて、素晴らしい出来栄えである。

2006年3月19日 (日)

ゴッドファーザーを観る

2週間ぶりの投稿である。取材の打ち合わせやら執筆やらで、気分的にも物理的にも更新できなかった。こんなブログでも、時々覗いてくれる有難い御仁がいるので、粗末にできない。

「ゴッドファーザー」(1972・監督/F・コッポラ)をBSで観た。D111197792

何度観ても面白い。PARTⅡもよく観ているが、Ⅲはまだ観ていない。これはまだテレビでは放映していないのではないか。有料テレビ局は別として。

コッポラ自身がイタリア系移民だからこその映画だろうが、国民性や血族を後生大事にする感性は、人種の坩堝である米国ならではのものだ。

2006年2月27日 (月)

「八月の濡れた砂」を観る

鬼才・藤田敏八監督の1971年の作品である。この映画はとても思い出深い。dvd_fujita_8gatsu

高校時代の夏休みのこと。飛騨高山や能登半島、永平寺 、東尋坊、兼六園を訪ね歩いた。当時は「アンノン」族が登場し、各地で女子大生が大勢観光地に集まっていた。

それを目当てにした訳ではないが、下心がなかったといえば嘘になる。帰途、兄の友人で私の親友でもあるS氏が立命館大に在学中で、一泊させてもらうつもりで京都に向かった。出発前に連絡先も聞いてある。

ところが、もらった葉書にある下宿の呼び出し電話の番号の末尾が間違っていて、何回かけても本人に連絡が取れない(当たり前だ)。夏とはいえ夕闇が迫っていた。住所を頼りに密集する下宿街を当てどもなく彷徨し、日はどっぷりと暮れてくる。途方にくれていたそのとき、まさに角を曲がったらS氏と鉢合せになった。

私の怒るまいことか。S氏はひたすら頭を下げた。腹ごしらえをしたあと、有名な京一会館でオールナイトで映画を観た。それがこの作品である。3本立てで、「遊び」D110486308 (1971 監督・増村保造)、「囁きのジョー」(1967 監督・斉藤耕一)との併映だった。3本ともいまだに鮮明な記憶として残っている。どれも名作だ。

「八月の・・・」は、石川セリが歌った主題歌がいい。役者も素人のテレサ野田を除けば、新進の若手俳優やベテランを配しており、監督の手腕が光る。裏話をすれば、準主役の広瀬昌助は自殺した沖雅也に代わって急きょ抜擢された。

藤田監督は、「太陽がいっぱい」を意識したアングルを随所に使い、画面の反転(ポジ)などを巧みに織り交ぜている。敏八監督の作品では、これがベストだ。

そういう訳で、この映画には思い出がいっぱい詰まっている。

2006年2月21日 (火)

「アラビアのロレンス」を観る

過日、「アラビアのロレンス(完全版)」(1962年・英)をBS2で観た。

relay 監督のデビット・リーンは寡作(名が売れる前はともかく)で、「ドクトル・ジバゴ」、「戦場にかける橋」、「冬のライオン」、「インドへの道」などで知られる。一部を除いて共通しているのは、いずれも英国の国家(政治)体制に題材をとっている点にあると思う。

この作品などは、その政治背景は実は非常に複雑で、統治権を持っていたイギリスが中東・アラブ諸国との間で、条約を反故にしたり蒸し返したりして、けっきょくいまに続くイスラエルとパレスチナの紛争の戦端を開くもとになる火種を描いたものだ。

それは、後年耳学問で得た知識と照合したから理解できたもので、これまで何度も見た折には、そんなことは関係なく、ただピーター・オトウールの鬼気迫る名演と、リーンお得意の壮大な70ミリの迫力ある映像だけが印象に残っていた。

ロレンスの取った行動については、諸説あるのでそちらを読んで欲しいが(私は読んでいません)、この年になってじっくり見ると、やはり話の中身のほうに関心が移っていったのを自覚した。

デビット・リーン監督の映画はどれも素晴らしいが、私のお気に入りは「ドクトル・ジバゴ」である。

D111348867 これも「ロレンス」同様、3時間ものの長編だが、時の過ぎるのを忘れる。壮大かつ悲哀に満ちた名作だ。

最近はこういう長編ドラマが少なくなってきているが、寂しい気がする。

2006年2月 7日 (火)

「カサブランカ」を観る

「カサブランカ」(1942年・ 米)をBS2で観た。D111391319 数え切れないほど観ているが、そのたびに感動する。

主人公リック(ハンフリー・ボガート)が、レジスタンスの闘士ラズロとナイトクラブの2階にあるオフィスで密談している。と、階下のホールからナチス軍兵士の歌声が聞こえてきた。ラズロは会話の途中ながらこれに憤慨し、ホールのバンドを促してフランス国家「ラ・マルセイエーズ」を敢然と指揮、居合わせた客が呼応し総立ちして合唱するシーンがある。ここでいつもグッときてしまう。

上の写真は、リスボン行きの飛行機に乗り込む直前の場面。かつてパリで甘い生活を過ごした2人だが、自らも反戦運動に身を投じた経歴を持つリックは、愛するイルザ(イングリッド・バーグマン)にラズロとの逃避行を促す。

「Time Goes By」も耳について離れない名曲である。感動の場面を再現するのはキリがないが、やはり脚本が良くなければ名画は生まれないことを、この映画は教えてくれる。もちろん、当代のスターの名演なくしてはあり得ない。

1942年は、ミッドウエー海戦がおきている。連合軍の反攻がそろそろ始まる時期だ。仮に私が100回これを観ていたとして、50回目くらいに「これは反戦映画ではないか」と考えるようになった。

しかし、80回目くらいになると、反戦映画だろうが、連合国側による国威発揚のプロパガンダと捉えようが、どうでもよくなった。「名画」、この形容だけで十分である。

私が心密かに思うシネマベスト1は、「ひまわり」himawari だ。「カサブランカ」はその次くらいに位置している。

映画は不思議なもので、何べんも観ていると、自己所有したような気にさせられる。俺が見るためにあるのだ、という気分にしてくれるところが名画の魅力なのだ。

「ひまわり」は中3の冬、一人で映画館に出かけて鑑賞した。やっと探し当てたマストロヤンニが記憶喪失で、ソフィア・ローレンはたちまち失意のどん底に突き落とされ、スピードを上げた列車に飛び乗り、号泣する。私も嗚咽していた。

「カサブランカ」は最後がしゃれている。リックと警察署長が飛行場の暗闇に肩を並べて消えていくシーンのセリフは、同じくハンフリー・ボガート主演の「俺たちは天使じゃない」D111491208 1955年・ 米) の最後のシーンとどこか似ている、と思うのは小生だけだろうか。

・・・調べてみたら同じ監督(マイケル・カーティス)だった。ウーン、私の観察眼は鋭いものがあるなあ。

2006年1月31日 (火)

「真珠の耳飾りの少女」を観る

「真珠の耳飾りの少女」(2003 年・イギリス=ルクセンブルク)を観た。3868

主役を演じるスカーレット・ヨハンソンがとてもいい。セリフの少ない映画だが、ヨハンソンの陰影のある表情と、単調で静かな音楽が一本筋の通った映像に仕立てている。

「真珠の耳飾りの少女」は「青いターバンの少女」とも呼ばれている。pearl-earring オランダの画家ヨハネス・フェルメール(1632-1675)は19世紀に専門家によって見直され評価が高まったという

この絵が映画の中で徐々に現れはじめたとき、「どこかで見た絵だな」と思ったが、映画の最初のほうでフェルメールの名が出たので、ピンと来た。レンブラントといい、ゴッホといい、オランダには優れた画家が多い。

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死後に再評価されたからだろうか、フェルメール本人の手になるものと判断された作品は36点しかないといわる。左の絵の「デルフト」というのは、フェルメールが生涯をすごした地だという。

絵画を見て回るのは好きだが、国内の美術館では人だかりが多過ぎて足を運ぶ気がしない。昔、シカゴ美術館に行ったことがあって、インド美術や浮世絵コーナー、エジプトや中国など国別の絵画、書、文物などが展示されていた。

平日ということもあっただろうが、閑散としていて(というよりあまりに広過ぎて)十分満喫した。いや、1日では回りきれなかったというのが本当のところだった。

またやってくるだろうが、いまでも残念なのは、秦の始皇帝の兵隊を模した「兵馬桶」(へいばよう)が上野に来たのを見逃したことである。まあ、行っても長蛇の列だったから、辟易したに違いないが・・・・。いつか本家本元を見たいと思っている。

2006年1月29日 (日)

「たそがれ清兵衛」を観る

 「たそがれ清兵衛」を観た。repo0210seibei_img1 TSUTAYAに行くたびに在庫を確かめていたが、ビデオが1本あったので、画質の状態は良くないのを覚悟して借りてきた。

藤沢(周平)作品は、抗し難い時代のうねりのなかで、人生の哀感を漂わせるところが魅力である。映像化には、それなりの技量を発揮する役者といい脚本がなければ、成功しない。真田広之と宮沢りえは好演していた。

藤沢氏の小説では、友人の妹や隣に住んでいた娘、といった近しい存在の女性との淡い恋がよく見られる。氏の幼いころにそんな体験があって、深く投影しているのではないだろうか。

 人斬リの藩命を受けた清兵衛が、出立するさいに、朋江(ともえ=宮沢りえ)への想いを打ち明ける場面が泣かせる。子役の2人もよかった。

 「レディー・ジョーカー」も借りてきて観たが、こちらは少しがっかりした。D111391477

高村薫もほとんど読んでいるが、この小説は傑作の部類に入る。

「スケールが大き過ぎて、映画には納まらないな」というのが率直な感想である。犯行グループにスポットを当てるあまり、脇役陣をうまく活用できていなかった。

辰巳啄郎扮する男が、なぜ唐突に自殺するのか、少しも描ききれていない。「たそがれ清兵衛」と比べると、監督の力量の差が出た。

2006年1月 9日 (月)

DVD鑑賞ひとまず終了

「アビエイター」を観る。今年一番の”観てはいけないDVD”ではないだろうか。1時間経ってもストーリーがさっぱり分からない。2時間50分もつきあうのは御免なので、

「バットマン・ビギンズ」に代える。006 こっちのほうが、面白かった。まあ、どうということもない映画だが、「アビエイター」しかり「スカイ・キャプテン」しかり、どう描きたいのか観るものに伝わらない映画は、時間の浪費でしかない。

冬休みのDVD鑑賞もひとまずこれで終わりにしよう。

きょうは、予期せぬ来客があって予定が狂ってしまった。

2006年1月 8日 (日)

テストパターン

 午前中は連載原稿の執筆(まだ書きかけだが・・・)。午後は雑事を片付けるため外出。セルフのGSで灯油を1缶購入。1264円。これでも周辺では一番安い。去年の2倍の価格だ。

年明けのため、まだ集中力が沸いてこない。DVDを返却しに行って、またも3本借りてきてしまった。「Shall We Dance?」shall_we_dance 期待していなかった割に、面白かった。

昔の映画にも触れてみたい。

「汚れた顔の天使」gyagny (1938年)

ギャング映画の傑作。貧民街で育った二人の男が、一人はギャングになり(ジェームズ・ギャグニー )、もう一人は牧師(パット・オブライエン)になって、不良少年達の更生に力を注ぐ話。ネタバレで恐縮だが、ラストが泣かせる。

ギャグニーは悪運尽き果てて死刑判決を受けるが、死を恐れない。親友の牧師は処刑前に面会し、ある願いごとをする。

「堂々と処刑されれば、お前はさらに崇拝され、若者があとに続いて悪事をやめようとしない。処刑されるときに、わめき叫んで無様な死に方をすれば、不良少年たちの更生に役に立つ」

 ギャグニーは、「そんなことができるものか!」と一蹴するが、処刑台に着席すると牧師の頼みを聞き入れ、死の恐怖に怯える小心者のギャングとして迫真の演技をする。

カメラは牧師をクローズアップし、ギャグニーの最期の一芝居を凝視するのである。ここでドドッツと涙があふれてくる。私の大好きな名画のひとつだ。

 この映画でギャグニーは、ニューヨーク批評家協会賞・男優賞を受賞している。小柄で美男子とはいえないギャグニーの映画は戦争かギャングの映画ばかりで、社会派ドラマに縁がなかったが、この作品は感動する。

私の記憶では、淀川長治さんが解説していたころの日曜(最初は土曜)洋画劇場だったと思う。小学6年生のころだ。

 私が生まれ育った九州の某県は60年代、昼下がりにTVでよく洋画を放映していた。私は昔のガキが皆そうだったように、年中野球ばかりしていた。

しかし、ときには飽きて家で過ごしたりもした。母子家庭だったので、姉や兄は小学校低学年の私よりも帰宅は遅く、母は看護婦だったから、あまり家にいなかった。(この話は先が長くなるので、また別の機会に・・・。)

 昔のTVは午後2時から4時ごろにかけて「テストパターン」という時間帯があり、テレビ局のマークだけが画面に写し出されて、BGMがかかっていた(このころかかっていたのが「オンリー・ユー」などである)。

 それが突然終わって洋画が始まるのである(ここら辺は記憶が曖昧だが)。そこでなんとはなしに「無防備都市」とか「自転車泥棒」とかの、イタリアのネオリアリズム映画をよく観た。

 当時はこれらの映画が不朽の名作とは知らず、ぼんやりと「7時になったらスーパージェッターが始まるなー」などと考えながら見ていただけだったが、それでも子供心にグサッとくるものはあった。小学2、3年のころだ。

 しかし、貧乏家庭でせっかく買った新しいテレビ(パナソニックテレビといって、例の松下である)が2年で故障した。「スーパージェッターが観られん!」と大泣きして母に訴えたが、姉や兄はTVに興味がなく、けっきょく私の願いがかなったのは3年後になった。

この3年間、テレビのない生活を経験したおかげで、私にとってテレビは必需品ではなくなった。もうひとつ、我が家系では、パナソニックテレビ以来、松下の家電は一度も買ったことがない。

2006年1月 6日 (金)

ケビン・スペイシー

 秋葉原のPCボンバーで、外付けHDDを購入した。 IODATAの「HDC-U160」。9800円(税込)。 リカバリーするときのファイル保存と、MSのXPサービスパック2のインストールをする際のバックアップのためである。原稿や関連資料のファイルが年々増えてきて、保管の必要に迫られていた。

 PCは大人のおもちゃである。興味を持ち出すと、色々な周辺機器を付けたくなる。もちろん、遊びのためではなくて仕事のためではあるのだが・・・。

ついでに怪しいお皿のディスカウントショップに足を運んでDVD+RWを3枚・480円で買った。ソニーのスゴ録でダビングするために買ったのだが、CATVで録画した地上デジタルの洋画はダビング不可と出た。どのお皿がどの番組にマッチするのか、さっぱり分からない。

で、DVDの話。休み中に借りた最後の1本。「ビヨンド the シー ~夢見るように歌えば~」。

kevin 贔屓のケビン・スペイシーが製作・監督・主演の3役。名歌手ボビー・ダーリンの生涯を描いた傑作だ。これは是非観てほしい。

15年近く前になるが、初めて海外旅行に出た。仕事がらみだったが、ラスベガスの郊外で開催されている展示会を取材するため、フラミンゴ・ヒルトンホテル(という名前だったと思う)に2泊した。

そこでディナーショーを見たが、ダンスありマジックありミュージカルありで堪能したことを、この映画を観ながら思い出した。向かいには「エルビス・オン・ステージ」の舞台となったシーザーズパレスが、他のホテルを威嚇するかのように、圧倒的な存在感を漂わせていた。入口からロビーまでの回廊は200Mはあろうかというエスカレーターが昼夜問わず稼働していた。

 話がそれた。言いたいのは、ディナーショーに出演した大勢のタレントがすべて無名だった(と現地の人が教えてくれた)ということである。アメリカのショウビズのなんと層の厚いことか、と舌を巻いた。

 だから、ケビン・スペイシーほどの名優が、この映画のために2年も歌のレッスンを受けて製作に臨むのは、ハリウッドの世界では普通のことなのかもしれない。