2009年1月25日 (日)

マンシーニなどCD3枚を聴く

Mansini2_2 ヘンリー・マンシーニのベストセレクション(全25曲)を聴く。「Moon River」で始まり「Lost Of Love」(映画『ひまわり』の主題曲)で終わるマンシーニの70年代までのベストアルバムである。

嬉しかったのは、いつぞや書いた『暁の出撃』(J・アンドリュース、ロック・ハドソン主演)の主題歌『Whistling Away The Dark』が入っていたことである。『酒とバラの日々』『ナタリーの朝』などもそうだが、必ずユニゾンのコーラスが入っていて、映画のバックに流れる装飾品のものでなく、1つの独立したポップスとして聴き応えのある曲に仕上がっているのが素晴らしい。

逆に『小象の行進』(Baby Elephant Walk)や『ピンクパンサー』前述の『ひまわり』といったインスツルメンタルもあり、こちらは楽器の特徴を見事に引き出し、効果音としての映画音楽になっている。

Photo 『男と女』も借りてきた。これはフランシス・レイの名品である。映画も大好きだが、バックに流れるスキャットがなんとも言えず心地よい。高校生のころ、クラシックに飽きて、しばらくFMで映画音楽を専門雑誌でチェックしては録音し、それを聞きながら自宅で夜毎、友人と麻雀ばかりしていた時期があった。

Elvis 『エルビス・オン・ステージ』。これも映画音楽だが、実際はスタジオ録音のものも3曲くらい入っている。1972年というから、やはり中学・高校の時期である。映画館で観たその足でレコード屋に行き、このLPを買った。いまでも手元にあるが、聴き過ぎて擦り切れている。

そんなにお気に入りでなかったエルビスを好きになったのは、この映画を観てからである。特にS&Gの『明日に架ける橋』は絶品である。『オンステージ』はこの他に2枚ある。1974年だったか全世界で同時生中継されたハワイ公演など、テレビの前でかじりついて見た記憶が蘇る。

2008年1月27日 (日)

LPをCD化する

Digital_music_sx 100枚近くあるクラシックやジャズのLPをCDに移すため、「Digital Music SX」というインターフェースを購入した。 レコードは高校時代からのコレクションで、実家や兄弟、知人などに散逸したものをカウントすれば、その3倍はあったのだが、大学入学で上京した折に持参し、その後手に入れたものだけが残っている。

LPの片隅には購入した年月が書き込まれていて、懐かしい。しかし劣化が進むので、お皿にして保存しようと以前から考えていた。関連する情報から考えて、CDレコーダーを選択するのがベストな方法だったが、目当てのものが生産中止になり、PC取り込みに切り替える。

そこでまた問題が生じた。レコードプレーヤーから直接このSXに繋ぐには「フォノイコライザー」なるものが要る。またカートリッジもMM型、MC型の違いでインターフェースが異なる。幸い、私のアンプはフォノイコライザー機能付でMM型、MC型切り換え装置もついていたので、家電量販店で聞いた結果、アンプとPCをRCA端子で結べばOKという結論が出た。

Photo まず記念のPC取り込み第1号は、マッコイ・タイナーの『インセプション』 である。高校時代、定時制に通っていた友人がジャズ喫茶で働いていて、もう一人の悪友と夜な夜なバイクを飛ばして入り浸っていた。親に甘えて、「ステレオ芸術」なるオーディオ専門誌を読んで買い求めた自慢のシステムコンポ。そのとき初めて買ったジャズのLPがこれだ。

Chris_connorヴィレッジ・ゲイトのクリス・コナー』も取り込んだ。このレコードは大学のキャンパスで、中古レコード屋が出張露天販売したときに手に入れた。お気に入りは沢山あるが、このライブはとくにお勧めである。

取り合えずこの2枚をPCに入れたが、音楽ソフトは使い方が難しく、まだ試行錯誤である。CD化もまだ先の話になる・・・。

2007年12月 1日 (土)

ジリオラ・チンクエッティ

Jiriora 『愛は限りなく』を観た。主演のジリオラ・チンクエッティは中学生のころだったか、海外のポップスをよく聞いていた時代の、シルビー・バルタンと並ぶアイドルだった。予告のあらすじを見て、よくある人気歌手のための陳腐な映画ではないかと思ったが、ジリオラ主演と聞いて、飛びついてしまったのだった。

映画はいきなり、水泳選手役のジリオラがプールのそばで、あの大ヒット曲「夢見る想い」(NON HO LETA)を歌うところから始まる。その唐突感と何十年ぶりかで聴いた熱唱で、引き込まれてしまった。

ストーリーも決して陳腐というわけではなく、名画ではないが、そこそこ楽しめる青春恋愛モノだ。なにより、ジリオラの歌が聴けるのが良かった。

Giliola2 あまりに懐かしく、もう一度聴きたくて、ツタヤで『ベスト オブ ジリオラ チンクエッティ』を借りて堪能した。彼女の声は、一種独特だ。決して絶唱することなく、あるいは朗々と歌い上げるというわけでもない。また物憂げではあるが退廃的でもない。

60年代はメロディのキレイな歌を歌っていたソロの歌手が大勢いた。イタリアではこのほか、ボビー・ソロ、ミルバなども活躍した。カンツオーネ、シャンソンと呼ばれていた各国のポップス。それらの原語は「ソング」だったことを知ったのは、その少しあとだった。

『ブーべの恋人』といい、このところ、またイタリア熱が出てきている・・・・。

2007年4月12日 (木)

チャイコフスキーの5番

Tyaikofusuky チャイコフスキーの交響曲は一般に第6番「悲愴」が有名だが、私は5番がお気に入りである。4番もダイナミックな曲で好きだが、この5番を買う。

第1楽章は、厳冬のシベリアを想起させる寒々しい弦の響きが続き、これぞロシアの民族音楽だと納得させられる。

圧巻は第4楽章のフィナーレ。音楽鑑賞は最近、たまのゴルフのときに車の中で聴くことが多い。このフィナーレが近づくと、ハンドルを握る手がタクトに変わる。トランペットやトロンボーンのブラス軍団が、しつこいほどに波状攻撃を仕掛け、何度も何度も盛り上げてくれる。

最後には絶叫せんばかりの雄たけびをマイカーの中で上げる。自己陶酔の世界に入るのである。

チャイコフスキーほど、メロディメーカーの作曲家もいない。どの曲も口ずさむことができる。ピアノやバイオリン、チェロのコンチェルトは、楽器別の「3大協奏曲」に一角に食い込む。それほど、大衆受けするということだろう。

クラシック好きには、いまさらの話になり恐縮だが、お勧めしたい。この手の作品は、アップテンポを好む指揮者が好ましい。ロシアの指揮者・楽団もいい。カラヤンや小沢などがうってつけだ。

2006年2月11日 (土)

ブラームスについて

 私はブラームス(1833 - 1897)があまり好きではなかった。「ハンガリー舞曲第5番」くらいしか聴いたことがなく、交響曲にしても退屈な印象しか持てなかった。thumb

大学時代、アルバイトで貯めたカネで、マゼール指揮のクリーブランド管弦楽団(だったと思う)のコンサートチケットを購入した。S席1万円。そのころとしては、買うときに勇気がいる値段だった。

東京・中野の普門館という、どデカいホールで聴いた「交響曲第1番」も、最終楽章のフィナーレは少し感動したが、あまり興味がもてなかった。

ちなみにこのホールは、あまりに広すぎて音が逃げてしまう。いまではクラシックのコンサートでは使われることは少ないのではないだろうか。

バッハ、ベートーベンを入れたこの3人を、クラシックの古典音楽では「3B」と称して、その偉大振りを讃える。

 あるとき、私のクラシック音楽鑑賞の師匠であるT氏から、ブラームスの交響曲CD4枚を頂戴してから、その良さに惹かれた。特に好きなのは第3番。第3楽章の一節は、F・サガンの原作映画「さよならをもう一度」buramusu でも使われた、有名な旋律である。

なぜブラームスが好きでなかったかというと、歌うようなメロディが少ないと思っていたからである。しかし、いずれもロマンチシズムあふれる曲ばかりで、口ずさむことのできるメロディが多い。

食わず嫌いであることを反省した。形式にこだわるあまり、型にはまった作曲技法かと思っていたが、親しみやすい。第1番は全体を通して聴くと、完成度は高く、最も有名だが、私は4つの交響曲のなかでは3番、4番がお気に入りだ。

当時のドイツ音楽界はリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)とブラームスの楽派が陣営を形成して対立していた時期とされる。この第3番はワーグナーの死後1年に初演されている。

専門的なことは分からないが、ブラームスの特色は、どの楽器も鳴らせるオーケストレーションの巧みな構成力と、入れ込まない適度な感情移入からくる品の良さにあると思う。

2006年1月21日 (土)

電子楽器「テルミン」

 テルミンという楽器をご存知だろうか「シネフィル・イマジカ」というCS放送で、今夜「テルミン」というタイトルのドキュメント映画を観て、不思議な思いがした。

Leon_Theremin_Playing_Theremin “テルミン”は、世界初の電子楽器と言われ、シンセサイザーの原型になった。ロシアの科学者であるレフ・セルゲイヴィッチ・テルミン博士によって1920年に発明される。

木箱の上方と左側にアンテナがついていて、箱の中には真空管が何本か入っている。それは、高周波を出す発信機で、写真のように空間にかざした手の動きで、触れずして演奏される。左の写真で演奏しているのは博士自身である。

D111587527スリラーやサスペンスものの映画では、この楽器は効果音に良く使われた。

私のお気に入りの映画、ヒッチコックの「白い恐怖」では、グレゴリー・ペック扮する主人公が、白と線の混じったデザインや風景を見ると、過去の忌まわしい記憶(滑り台に登った弟がせがむので、背中を押したら、勢い余って滑り台を飛び越え、先の尖った鉄扉に突き刺さって死亡する)が蘇るシーンに、テルミンの不気味で悠揚迫らぬ音色が効果的に使われていた。

 その不思議な音色が注目を浴び、博士はソ連からニューヨークに移り住んで活動を拡大するが、1938年に謎の失踪を遂げる。盗聴器や、傍受した海外電波の雑音除去などの諜報活動に従事させられ、米国の追求を恐れたソ連政府の手でシベリアでの強制労働にも8年間従事させられた。かのレーニンもこの電子楽器を気に入った、という博士の話に興味をそそられる。

製作は1991年だから、ソ連崩壊で冷戦構造がなくなったあと、米国を訪問したのだろう。母校スタンフォード大から名誉勲章を授与されるシーンが出てくる。

 ローゼンバーグ事件でもそうだが、1930-50年代における米ソの諜報合戦は想像を絶するものがあり、スパイ映画などが再三製作されたのも、そうした時代背景が底流にある。

 この種のドキュメント映画を観ていつも感心するのは、欧米のドキュメンタリー映画関係者は、いまとなっては歴史に埋もれた事実を堀り起こすことに情熱を傾けているということだ。

「未来志向」を否定はしないが、過去の出来事をなるべく多く蓄積しておくことは、とても大事である。とくに小生のような物書きの端くれは、記事を書くときに必ずテーマの周辺を俯瞰するように心がけている。

過去の歴史のなかには、後世に伝えておくべきことがたくさんある。そのために「映像」は伝達の表現手段として大きな威力を発揮する。

数奇な運命を辿った博士の生涯を、様々な関係者の証言で構成したこの映画は、一見の価値がある。映画「テルミン」は、同チャンネルで、今月まだ5回放映予定がある。

なお、テルミンはいまでもプロの演奏家がおり、日本人もいる。

2006年1月17日 (火)

ドビュッシーの音楽

 フランスの作曲家・ドビュッシーの名は良く知られているが、ではどんな曲があるかというと、すぐに思い浮かばないのではないか。学校の音楽の時間では(あくまで私の時代だが)、ピアノ組曲「子どもの領分」か、「牧神の午後への前奏曲」あたりが音楽鑑賞の対象だったと思う。

ソルフェージュを習ったことがないので専門的に説明はできないが、ドビュッシーの基本音階は沖縄の独特の音階に似ていて、ヨーロッパの古旋律を模したものらしい。また一方で、全部の音(12音)を駆使するため、時として不協和音になることもある。

不協和音といっても、それまで慣れ親しんできた3度の和声と比較しての話だから、初めて聴く人にとっては、むしろ新鮮に聞こえるかもしれない。

 私が特に好きなのはフルートの独奏曲「パンの笛(Syrinx)」とチェロソナタ。「シランクス」は、聴いたとたん、異様な気持ちにさせられる。世紀末というか、この世の終わりを思わせるような寒々しい旋律である。

 初めて聴いたときは、このメロディが頭にこびりついて寝付けなかった。これも高校生の時分だったろうか。

ドビュッシーのチェロソナタは、多分1曲だけだと思う。164

これも「シリンクス」同様、姉がトリオレコードで眠っていたものを持ち帰ったもので、ドーナツ盤である。ソナタにしては8分程度と短いが、消える寸前が一番明るい光を放つといわれるロウソクの火のように、伴奏のピアノとの激しい掛け合いがしばし続き、一瞬にして曲は終わる。左はマイスキーとアルゲリッチのコンビ。ピアノが引き立て役でなく、チェロと渡り合うところがまた、たまらない。

どちらも小品だが、ドビュッシーの色彩感覚、音感はラベルやサティとも違う。いまもときどき、針を落として聴いている。

2006年1月16日 (月)

ショスタコービッチについて

 旧ソ連の作曲家・ショスタコービッチで最も有名なのは、交響曲第5番である。

Shostakovichportraitphoto  第5番は最近まで「革命」という副題がついていたが、いつの間にか「5番」とだけ呼ばれるようになった。

初演当時、スターリンが「社会主義リアリズムに即していない」と批判し、書き直しを命じた。以前ショタコの自伝的ドキュメントを見たが、本人は自己批判を装いながら、実はスターリン批判を心に秘めながら譜面を埋めていったそうである。

それがどの部分なのかを知ろうとするのは、意味がない。気に入ればもう一度聴けばいいし、聴きたくなければそれでよい。しかし、セリフのあるオペラならともかく、どの交響曲が社会主義体制に合致しているかなど、ほとんど恣意的な判断だ。スターリンがただ気に入らなかった、というだけの話だろう。

皮肉なことに、書き直された5番をスターリンは激賞したそうである。芸術が革命的かどうかなどということはありえない。別の意味で、それまでの殻を破る音楽として”革命的”だというのなら分かるが・・・・。

 shostakovich このCDは輸入盤だが、1979年に東京文化会館でバーンスタインがNYフィルを指揮したライブである。色々聴いたが、これが最もお勧めのCDだ。いま出ているのは、舞踏家・麿赤児のような筋肉質の男が体をひねったような格好をしているジャケットで、気持ち悪い。これは、ギリシャ正教の大聖堂だろうか?

 この曲は、出だしが印象深い。定かな記憶ではないが、第2次世界大戦中にアメリカの戦意高揚ニュースで、その部分が使われていたように思う。人の不安を煽り、掻き立てる音色である。私のこの想像が当たっているとしたら、当時は同じ連合国だったから、「敵性曲」ではなかったからだと思う。

 そしてフィナーレが素晴らしい。執拗なティンパニの連続は、ロシア音楽の伝統かもしれない(チャイコフスキーの4,5番がそうだ)。第4楽章の第2テーマがユニゾンで響き渡り、最後の最後になって、3つか4つのティンパニの音だけがフィーチャーされる場面がある。ここがなんとも言えない聴きどころなのである。

 バーンスタインはソビエト公演でこの曲を演奏し、当のショスタコービッチから、じきじきに賞賛の言葉をもらったという。この東京公演もまさに快演のひとつだ。

 ロシアという国は、芸術の宝庫である。文学しかり音楽しかり。それはまた稿を改めたい。

今度はクラシック

 続けてジャズの話を書いたので、クラシックのことを・・・。

 クラシックギターを弾いていたので、聴くものもやはり古典でなければ、という妙な先入観があった。もともと小・中学校の音楽の時間は楽しみで、レコード鑑賞の日は胸を躍らせて学校に行ったものである。音楽の教科書に載っている楽譜をよくギターで弾いたりもした。

 中学に入ると、テレビでは「N響アワー」や立川澄人さんの音楽番組は必ず見るようにし、FMラジオでは、番組情報誌を買って有名なクラシック曲をかたっぱしから聴くようにした。これもギターの役に立てるためと考えたからだった。

 最初はやはり、チャイコフスキーのピアノ協奏曲やメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲などが好きだったが、ギターでバッハなどの古典を弾くようになってからは、バロック音楽にも興味を持ちはじめた。

 高校生のころである。N響アワーでベートーベンの第7番を聴いた。「田園」や「運命」ではなく、ただの7番である。聴くとはなしに聴いていたら、あの第2楽章が流れてきた。感動で打ち震えた。

 翌日、学校を終えてレコード店に行き、カール・ベーム指揮、ウィーン・フィル版bohm01

を買って、自宅で聴いた。このときは、もっと感動した。(このジャケットとは別物ですが)

これを聴いて感動しない人は、クラシックは遠慮したほうがいいのではないか。それくらい、美しい旋律である。どんな指揮者・楽団でもいいから、一度試聴してみてほしい。

2006年1月15日 (日)

またジャズの話

 小学4年生のときから独学でクラシックギターを始めた私にとって、JAZZは許し難い”敵曲”だった。「クラシックにあらざれば音楽にあらず」で、ただただウルサイだけの音楽だった。

 風向きが変わったのは、高校生のころである。中学時代の同級生が定時制高校に通学しながら、某地方都市にあるジャズ喫茶に勤めだした。悪友のバイクに便乗して、夜な夜な出入りするうちに、M・デイビスの「KIND OF BLUE」C1022120 に収録された「SO WHAT」に感動し、次第に入り浸るようになった。

その店はリクエストに応じてくれないのだが、マスターのいない隙を狙って、同級生が選曲しては、解説してくれた。(悲しいことに、その同級生は20代中盤に夭逝した・・・。本当に、いい奴ほど早死にする)

やがてジャズのLPは、クラシックギターを凌ぐようになる。記念すべき第1号は、マッコイ・タイナーの「INCEPTION」。C1014451これだけは、 いまでも大切に保管している。タイナーの初のリーダー・アルバムで、タイトル曲は研ぎ澄まされた緊張感が漂う、スリリングな自作で、「NO GRATER LOVE」でのエルビン・ジョーンズのブラッシングも聞きものだ。

生のコンサートにも出かけたが、キース・ジャレットには失望した。1975年ころと思うが、カルテットでの来日だった。サックス奏者が風邪を引いたとかで椅子に座ったままの演奏で、腹に力が入らないのか、チャルメラのように脆弱な音だった。

キース・ジャレットは、それが気に入らないのか、器用なところを誇示したいのか、ピアノを弾いたかと思えば、ソプラノサックスを手にとって吹きだしたりして、演奏に身が入っていなかった。例の「ケルン・コンサート」C1033921 で、一段と名声を博した直後の来日で期待していたが、地方都市だと手を抜くのかと思ったりもした。

ちなみに、このCDジャケットはオリジナルではないと思う。LPではたしか2枚か3枚組で、緑色をした豪華箱入りだった。当時、姉がトリオレコード(いまはなき?)に勤務していて、タダで自宅に持ち帰ってきた。

それは視聴盤で、マスコミ向けにプレスされたものらしかった。さして聴き応えのある演奏とも思わなかったが、なぜかその後もてはやされた。

大学に入ってからは、新譜を買う余裕がなくなり(また新譜を買おうとも思わなかった)、中古LPの収集に精を出した。女性ボーカルの出物を探し回ることになる・・・。

2006年1月13日 (金)

ジャズを聴く

 四谷にあるジャズ喫茶「いーぐる」で午後下がりのひと時を過ごす。知人の編集者に教えてもらった店だが、もともとそこにあることは以前から知っていた。7年ほど前、ある事情があって、その周辺の、とあるオフィスに毎週出入りしていたからだった。

「いーぐる」は午後6時までは私語禁止なのがありがたい。大音量の店内で会話すること自体無理があるから、当然といえば当然だが、1曲限定のリクエストをし、それを聴きながら小一時間ウトウトする。

話はいつものごとくそれる。

私はドトールなどの安い喫茶店も行くが、喫茶店で店員たちが私語を交わし、止めようとしないような店は、高かろうが安かろうが、コーヒーがうまかろうがまずかろうが2度と行かない。1人で行くときも複数のときも同じである。

きょうは、トミー・フラナガンの「Overseas」jacket をリクエストした。

私が持っているLPはこのジャケットではないが、学生時代に買ったから、ウン10年前になる。どれも小気味のいい曲ばかりだ。

 当時は京王線の笹塚に住んでいて、中野や新宿のジャズ喫茶によく行った。中野のブロードウエイというアーケード街をはずれた路地の一角にあった「ビアズレー」というジャズ喫茶がお気に入りだった。世紀末の画家・ビアズレーの代表作「サロメ」 が看板だった。

ここも私語禁止区域で、腕組みをしながら聴き入っている学生が多かった。「ビアズレー」の向かい側にはサウナがあって、卒業後はそのサウナの常連でもあった。salome

 その裏にはジャズライブの店「いもハウス」(だったと思うが自信はない)があり、クラスメイトとのデートスポットにしていた。

宮野弘紀というギタリストの演奏を聴いてびっくりしたことがある。アコースティックギターをパコ・デ・ルシア並みにバンバン弾きまくるのだが、その音色がとてもクリアなのである。

「ビアズレー」の手前にあったのが、武蔵野館という映画館である。ここも思い出深い。なかでも「パレード はとても記憶に残っている。

拉致問題が、一部の有識者や半島情勢に関心のある人しか知らなかった時代の映画である。私は当時から、ここに登場する人民は、心の中ではいやいやながら参加していると確信していた。数年前、当地にもいった経験を持つ在日のライターに聞くとそのとおりで、日当が支給されるのだという。kim-parade1

ジャズから北朝鮮の話になって恐縮ですが、とにかくこの「ビアズレー」「サウナ」「武蔵野館」は、距離にして50Mの間にあり、私の青春時代にとって、まさに”黄金通り”だったのである。