2009年10月24日 (土)

ソルの17番と19番(ギターの話17)

Sol17 セゴビア編によるソルの20の練習曲は、『ギターのベートーベン』と言われるこの作曲家が書いた、数あるエチュードの中から、世紀の巨匠が任意に選び出したものである。

技術的にやさしい曲から並べているわけではないが、16番からの5曲は、コンサートやCD(昔はLP)でも聴く機会が多い。

この17番は、N・イエペスの『クラシックギターの至芸』(だったと思う)に収録されたのが、初めてではないかと思う。イエペス27歳のときの録音で、初めて聴いたとき涙が出るほど感動した。

Yepes その後、1970年代中盤くらいに、『ソルの24の練習曲』のタイトルで録音したものにも入っているが、前者の演奏には叶わない。瑞々しさが違うのである。これは10弦ギターの音色にもよるかもしれない。

『至芸』のLPには全曲楽譜が付いていた。小さくて見づらいが、いまも持っている。これは大学時代に神田の古書街でLPを見つけて、衝動買いしたが、あいにく、楽譜は持ち主が一部切り取っていてなくなっていた。

前置きが長くなった。この17番習得の狙いはアルペジオにある。しかし、a(薬指)-i(人差し指)-m(中指)の繰り返しが基本なので、慣れないうちは、この指の順番がとても難しい。

というのも、a(薬指)で弾いた後にi(人差し指)がすぐ反応せずに間が空く。しかしi(人差し指)を動かすとm(中指)はすぐに連動するから、3つの音が等間隔で鳴らないのである。

経験者ならお分かりだと思うが、薬指は普段使わないので、ギターを弾くときも動きが鈍くなる。それに、17番は後半にかけてメロディラインをアポヤンドするよう指定しているから、なおさら難曲になる。「アポヤンドの繰り返しだからといって、甘く見るなよ」という警告を発している練習曲である。

しかし、この曲の持つメロディは、誰に聴かせても『良い曲だねえ』と好感される。いままた練習しているが、何十年も弾いてきたせいか、運指はしみついているのが自分としては嬉しい。映画のバックにも時々使われるので、聴かれた方も少なくないと思う。

Sok19_2 一方、19番もアポヤンドの単純なリピートではあるが、課題はセーハにある。とにかく速度指定が「Lento」で、ゆっくり、しかも音をしっかり出さないといけない。しかし左手の運指で随所に厳しい箇所があり、それをセーハで抑えなければいけない。

普通に弾き終われば3分くらいで終わるが、ほとんどセーハしながら抑えるところばかりなので、ミスなく弾いたとしても、しばらくは左手の握力がなくなるほどきつい。個人的にはこの19番が、20の練習曲のなかで最も難曲だと思う。

変ロ長調(だと思うが自信がない)という、味わいある調で、これもジーンと来る名曲である。

偉そうだが、この2曲をミスなく、クリアな音色でテンポを守って弾ける人は、相当の腕前といえる。私はまだ、ノーミスという域までは達していない。

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2009年5月13日 (水)

レパートリーについて(ギターの話16)

ギターの弦を代えたおかげで音色が見違えるほど、いや聞き間違えるほど良くなった。自画自賛ではない。左指のすべりが良くなり、フレットの移動がスムーズになったため、弾きやすくなった。

前回記したレパートリーを記しておこうと思う。備忘録としてである。まず最初に『オルフェのテーマ』(映画「黒いオルフェ」から)、『プレリュード第3番』(F・タルレガ)、『3つのカタロニア民謡~盗賊の歌、アメリアの遺言、聖母とその御子』、『スケルティーノ・メヒカーノ』(M・ポンセ)、『鐘の音』(ペルナンブコ)。この5曲(というか7曲)はそれぞれ1曲あたりの演奏時間は3分から5分で、小品である。

次は『マジョルカ』(I・アルベニス)、『ゴヤの美女』の2曲。これはなかなかの難曲。昔から大好きな2曲で、初めてテレビでオスカー・ギリアの来日演奏(NHK教育テレビで生放送だった)を聞いたときは、感動で胸が打ち震えた。小学6年のときである。

すぐに楽譜を揃えてみたが、なんとか人に聞いてもらえるまでに弾けたのは、大学に入ってからだった。

ここで一服休憩をとった後、『プレリュード』(M・ポンセ)、『カバティーナ』(映画「ディア・ハンター」の主題曲)、『タンゴ・アン・スカイ』と20世紀に作られた比較的新しい曲をおさらいする。

こうして書きとめてみると、この12曲を1時間で弾くのは楽ではないが、好きなことをやるのは疲れないものである。

経験者にはお分かりかもしれないが、じめじめとし出す入梅前のこの5月、6月はクラシックギターの演奏に適しているのだ。上手く説明できないが、右指の爪の状態がこの季節の湿気や温度にフィットしているのだと思う。

手のひらに、じわっとした汗が少しつくくらいが良い音色を出す。こればかりは感覚的なものだから表現が難しい。

レパートリーというのは、アマチュアでも暗譜していて曲の理解ができているものを言うのだと思うが、時間ができたら、たな卸しをしてみたい。

2009年5月11日 (月)

弦を交換する(ギターの話15)

Proartej45 1年ぶりくらいになるか、久しぶりに弦を交換した。買い置きしてあったのは低音がプロアルテ、高音が「弦」これはアメリカのブランドだが、ラベルを見ると日本法人があるようだ。

0510 弾かないときは1ヶ月近く弾かないので、痛みの進行も遅いが、4弦は3フレットあたりで表面が剥がれそうになっていたので、もう替え時だった。

新品の弦をつけると、音は断然違うのは当たり前だが、この「弦」という弦は音の伸びがとても良い。プロアルテはオーソドクス。この日本製は、ショップの店主から勧められていたが、どうも舶来志向が強くて抵抗があったのだった。

Augustinebk 中学生のお金のないころは、このオーガスチンの黒を買うのにも勇気が要った。6本で当時1500円した。いまは定価で1300円。円高の影響か、セットで700円もしない。総じて舶来の弦は為替相場の恩恵を受けて、40年前の半値である。

裏にはセゴビアの顔写真があって、英語で推薦文が載っていた。英語が好きだった私は翻訳し、6歳上の姉に見せると、とても喜んで直してくれた。姉も英語が得意だったのだ。

Savarez520r このサバレスはフランス製で、低音弦を買っていた。切れ味のある音を出すが、持ちが悪く、値段も高かった。いまも若干割高である。

4、5、6弦をサバレス、1、2、3弦をオーガスチンで揃えると2000円を軽く超えた。母を拝み倒してカネを握り締めて買いにいったものだ。

その代わり、いったん買うと1年は使う。当時は毎日3時間近く弾いていたので、すぐに痛む。低音弦はすぐに擦れて茶色がかる。そんなときは台所用洗剤を使い、スポンジでせっせと洗った。

このごろは、腕が鈍らない程度に1日おきくらいに1時間弾いている。1曲3分くらいのを7曲、6分くらいのを2曲弾いて休憩(ここまでは暗譜している曲ばかり)し、30分をもう少しでものにできる課題曲を3曲。

これでじゅうぶん疲れる。弾いているときは無呼吸状態になるからだ。弦は苦もなく手に入るようになったが、体力と時間が昔と比べて足りない。

人里離れたところで、ゆっくりと弾いてみたい。

2008年7月29日 (火)

楽譜を買う(ギターの話14)

0729guitar 久しぶりにギターの楽譜を買った。『こころやすらぐ ソロ・ギター ~リラクゼーション・ミュージック~』。以前から探している『ひまわりのテーマ』(H・マンシーニ)が入っていないのは残念だが(『ひまわり』が収録された全集は現在絶版なのだ)、その次に弾きたい『ニュー・シネマ・パラダイス』が収録されていたので、銀座の山野楽器で予約した。

しかし、鈴木大介がCD『キネマ楽園』で演奏しているのと同じ編曲かどうか疑わしかったので、注文して買わないでもいいかと聞くと、返品可能だから構わないと店員はいう。

ならば、一度実物を見て判断しようと決め、注文を出した。その3日後、銀座に足を運ぶと、やはり弾きたかった編曲とは違う。

どこが違うかと言うと、第二テーマともいえる後半部分がないのである。前半部の明るい基調のメロディのところはアルペジオ風で、鈴木大介の演奏とほぼ同じだが、後半の切ないメロディのところが欠落している。

がっかりした。しましまあ、『ひまわり』は絶版だし、ここでパラディソのさわりでも弾いてみようかと思い直して購入した。ただ、いまは弾く時間がなく、音符をめでながら楽しんでいるだけなのだが・・・・。

楽譜は見つけたときに無理をしてでも買っておくものだ、と昔、誰かが言っていたが、まったくそのとおり。いまは弾いていないから、弾きだしたら買おう、などと放っておくと、すぐ絶版になる。

そういうケチな根性では、楽器とつきあってはいけないのである。親孝行と同じで、弾きたいときに目当ての楽譜は世から去っているのである。

掘り出し物のピースもあった。『だったん人の踊り』である。これは聴けば「ああ、そういえば一度は耳にした」というくらいのポピュラーなメロディである。

今年の夏は、立て込んだ仕事が控えていて、当分ギターを手にできそうにない。ここまでのブランクは2年ぶりだろうか。せっかく元に戻りつつあったのに、またやり直しだ・・・・。

(もし、この拙いブログを見ていただいている方の中に、江部賢一氏編曲・『ひまわりのテーマ』をお持ちでしたら、是非コメントお寄せください。)

2008年3月19日 (水)

ギターを弾きたい(ギターの話13)

Guitar などと考えながら、ここに載せる画像を探していると、こんなところがあった(画像は拝借します。すみません)。私も素人にしては弾けるほうと自惚れていたが、この人は相当上手い。

やはり上には上がいるもので、アマチュア恐るべしである。ココもこの方のHPのようだ。音がきれいなのがうらやましい。

この方のサイトに行ったきっかけは、過日購入したマイヤーズの『カバティーナ』をググッていたからだ。この曲は、セーハ(人差し指で複数の弦を抑える技術)がハイポジションに多く、抑えるのが難しい箇所がいくつかある。

そこが、またこの曲の聞かせどころだから、聞いた印象と弾いたときの感想がずいぶん違う。ソルの練習曲19番(セゴビア編)だったか、同じくセーハがきつい。これを弾くには相当の握力が求められる。変ロ短調というギターでは変調の部類で、セーハだけでなく、全体に左手が難しい。

ここ数ヶ月はギターを手にする余裕がない。時間は作ろうと思えば作れるが、気持ちにゆとりがないときは、さすがに好きなギターといえどもダメである。

もうひとつは爪である。殿様ではないから、皿も洗うし、部屋も片付ける。そんなちょっとした作業で、爪を引っかいてしまい、傷つける。1本欠ければ弾けないから、全部爪きりで切り落とす。生えだすまで弾けない。これが3週間ほど続いている・・・・。

2007年12月29日 (土)

タンゴ・アン・スカイ(ギターの話12)

Roland1 ローラン・ディアンスの名曲である。もっと年配かと思ったら、同年代だったので、ちょっと驚いた。ディアンスの名は、ラベルの『亡き王女のためのパバーヌ』のギター編曲者として数年前初めて聞いた。自身もギタリストだから、この『パバーヌ』の編曲は数多くあるが、彼の編曲が最もギター的ではないかと思う。

この曲をどこで聞いたかというと、「YOU TUBE」である。曲の由来などについてはココをご覧戴くとして、演奏は大萩康司のもの韓国のギタリストなどが良い。ディアンス自身の演奏も聴ける。即興的な曲風だが、しかし難曲である。

あちこち探したが、たまたまピースがあって、楽譜を入手した。これがまた邦題が『なめし皮のタンゴ』とあって、思わず苦笑してしまった。「en ska'i」とは、人工皮革といった意味で、「タンゴ風」とでも意訳すればいいものを、直訳しているところがおかしい。

そもそも『タンゴ・アン・スカイ』としてすでに名が通った名曲の、しかも輸入楽譜に邦題をつけること自体、奇妙だ。もっと不思議なのは、フランス語で書かれた版元や作曲者にまで日本語訳がついている。輸入元は楽譜に記載されていない。親切のつもりでつけたのだろうが、実に奇妙な譜面である。そのくせ、ウラには、ディアンスのコメントが英語とフランス語で記されている。

まあ、それはそれとして、この曲は『鐘の響き』(ペルナンブコ)のように、1週間で暗譜できるほど簡単ではない。毎日練習したとして、1ヶ月でものにできるかどうか。早いパッセージは、取り出して練習すればなんとかなりそうだが、問題はラスゲアドのところだ。ラスゲアドは6弦全部をかき鳴らすのは簡単だが、3、4弦だけを使うのは容易ではない。

ところで、、「YOU TUBE」というのは恐ろしくスグレモノだ。最近はヒマさえあれば、ここに行ってイエペスやブリームなど昔の名手の演奏を聞いて懐かしんでいる。また若手ギタリストの演奏にも注目している。こんど木村大のCDを借りてこようと思っている。

クラシックギターといえば、スペインものやバッハなどしか知らなかったが、しばらくギターから遠ざかっていたこの20年の間に大きく様変わりしていることに驚く。この『タンゴ・アン・ スカイ』も、その間に愛好家の間で親しまれてきたらしい。

2007年12月 9日 (日)

11月のある日(レオ・ブローウェル=ギターの話11)

Browel レオ・ブローウェルが作曲した『11月のある日』の楽譜を入手した。荘村清志のCDに収録されていたのを聴いて、とても気に入ったからである。もともとは、ある映画のために作曲されたものらしい。どんな映画なのか、ネットで調べたが分からなかった。

この曲もペルナンブコの『鐘の響き』同様、技術的に難しい曲ではない。前半の部分がとても印象的なメロディで、最近のギター愛好家は、よく弾くようである。

ブローウェルは、キューバ出身のギタリスト・作曲家。『舞踏礼賛』という曲も有名だが、こちらは、かなりのテクニックを要する。大学を出てからしばらくはギターとご無沙汰していたため、この人のことは名前は知っていたものの、前衛音楽でとてもアマチュアが弾ける曲ではなかろうと、敬遠していた。

それが最近、またギター熱がぶり返し、大萩康司のCDを聴いて、中南米の作曲家たちのギター曲に触れたことで、レパートリーを増やしたいと欲が出てきた。嬉しいことに、このブログを見てくれている知人から、「まだギターやっています?」などと言われたものだから、今日は午後からたっぷり練習した。

ここ2ヶ月、週の半分は小一時間ほど手にしていたせいか、好調の半分くらいまでは腕前が戻ってきた。平日は早くても夜の10時からしか弾けないので、以前は必ずやっていたセゴビアのスケール(音階)練習はしない。

いま弾いているのは、『鐘の響き』と『3つのカタロニア民謡』(盗賊の唄・アメリアの遺言・聖母とその御子)、『スケルティーノ・メヒカーノ』、『マジョルカ』、『シャコンヌ』、そしてトリーナの『ファンダンギリョ』『ソレアレス』、特訓中なのが前述の『11月のある日』。

これを一通り弾くと、だいたい1時間になる。『シャコンヌ』はバッハの難曲で、練習曲といえば叱られそうだが、もう何十年も弾いていると、例の6フレット越えの個所を除けば、指が自然に動く。

Souitichaconne 『シャコンヌ』はセゴビアの編曲で、ある意味スケール(音階)練習の実践編ともいえる。村治佳織の弟・奏一はこの曲のほとんどを、本来バイオリン曲だったからか、低音の伴奏抜きで演奏しているが、これはあまり感心しない。

2007年11月16日 (金)

「タブ譜」に怒る(ギターの話10)

過日、『鐘の響き』が入った曲集を買ったことを書いた。開けて驚いたのは、楽譜が2通り載っていたことである。上に音符で記された楽譜、下の段に見たこともない、数字だけの楽譜(といえる代物ではないが)がある。

店員に聞く。「ああ、それはタブ譜です。楽譜が読めない人のために、付いているんです。最近の楽譜はタブ譜がよくついていますね」  「楽譜を読めない人が、クラシックの名曲、難曲を弾きたがるの?」  「というより、出版社の意向が強いのではないですかね。ギターを弾きたいと思っている人たちのほとんどが楽譜を読めませんから。最近はタブがないと、楽譜は売れないのです」

タブは、正式にはタブラチュア譜という。15世紀ごろから存在しているもので、弦楽器に限らず、どんな楽器の楽譜にも用いられたという。

私はタブ譜は古典の楽曲だけに用いられるものとばかり思っていた。それがいまは、楽譜を読めない人のために、音楽出版社が率先して出している。

001_005_002_0l クラシックギターを弾こうとするものが楽譜を読めないとは、情けないの一語に尽きる。私など、小学4年のときから楽譜と格闘し、ああでもないこうでもない、と悩みながらやっと読めるようになった。

楽譜は神聖なものである。楽譜を読めない奴は、クラシックギターを手にするなといいたい。また「クラギ」などと略して呼ぶな!! 

・・・偉そうに言うなと非難されそうで怖いが、深夜の弾けない時間に、楽譜を眺めながら、「ここはこういう風に弾いたらどうなるかな」などと悦に入るのがまた、楽器を弾く者にとっての大きな楽しみなのだ。

クラシックギターは、とても難しい楽器である。タブ譜を見てなにがしかの曲が弾けるようになっても、それは技術的にマスターしただけのこと。横着というものだ。

2007年11月10日 (土)

鐘の響き(ペルナンブコ=ギターの話9)

Oohagi 日本人ギタリストのCDを2枚、TSUTAYAから借りて聴いた。大萩康司は、キューバの国際ギターコンクールで入賞した縁からか、南米の曲を多く弾いている。

このCD「Cielo」に「鐘の響き(ペルナンブコ・作曲)」という曲がある。素晴らしく美しいメロディである。聴くところ、弾けそうだなと思い、色々とギター専門店に問い合わせしたら、ある専門店にあったので、早速足を運んだ。1冊の名曲集のなかにあった。この曲の他はほとんど楽譜があるので、買うのも業腹で高価ではあったが、結局買った。

昔、NHKのギター教室で荘村清志氏が講師のときに番組のオープニング曲として弾いていたらしいが、予想通り、技術的に難しい曲ではない(といっても、中級者以上の実力はいる)。毎日数十回は弾いて楽しんでいる。

この人は、切れ味のある演奏をする。南米の曲を得意にしているだけに、ラスゲアードが上手い。是非、TSUTAYAのようなレンタルショップで借りて聴いてほしい。

Sdaisuke もう1枚は、鈴木大介の「キネマ楽園」。アルバムのなかで気に入ったのは、「ニューシネマ・パラダイス」と「ひまわり」。どちらもお気に入りの映画である。この人のギターの音色を初めて聴いたとき、小生のようにウン10年クラシックギターを弾いている者にとって、衝撃的だった。

そのことは以前書いたので詳しく触れないが、紹介した2曲は本人の編曲だろう。楽譜化を切望したい。小生も弾いてみたいのだ。ただし、相当難しいだろう。

日本人ギタリストのなかでは、鈴木大介のほうが一世代上に属するようだが、こうした30代までのギタリストが奏でる音色は、昔の日本人ギタリストのそれと比べると、ずいぶんまろやかで、甘美である。

これは想像するところ、爪の質が昔の人と比べて柔軟性があるからではないだろうか。我が国の長老ギタリストの爪は、まるで節くれだった農民のように分厚くて硬質な音しか出ないように思われた。

村地佳織もそうだが、このクラスになるとテクニック的には甲乙つけ難い。どこが違うかといえば、センスである。曲を解釈する力が斬新で意外性に富んでいるか。そこが大変重要である。

2007年10月22日 (月)

ギター練習再開!(ギターの話8)

Img10401696244 今月は仕事があまり入ってこなかったので、読書やゴルフに当てる時間が通常よりも増えた。そこでクラシックギターの練習を再開する。今年は通算しても10日くらいしか弾いていなかったので、もとの技量に戻すのに時間がかかる。

この数日、やっと調子が上がってきた。その理由は2つある。ギター用(というわけでもなかろうが)の爪やすり(800円也)と弦を張り替えたからだ。

チェコ製と書いてあるこの爪やすりはガラス製。メディア・カームというギター専門店で買った。弦も低音がサバレス、高音はプロアルテだったか。この組み合わせがとても良い。やはり、良い音が出るとやりがいが出てくるものだ。

爪の手入れには昔から悩まされ続けてきたが、とても使いやすい。もっと早く購入していれば、これほどギターから離れなくても良かったと後悔さえしている。

熱中し出すと止まらないのが長年の趣味というものである。夜の夜中にも弾きたくなる。そこでサイレントギターがあったのを思い出して、銀座の山野楽器に足を運んだ。以前ここで試しに弾いたのが、このヤマハのサイレントギター。しかしあいにく在庫切れだった。

ネットで探すとして、その足でCD売り場に行き、ブリームとバルエコを買う。聞きたかったアルベニスの「コルドバ」が入っていなかったのが残念無念。まあ2枚で3千円だから良しとする。

これからどんどん調子を上げて、もとのレベルに戻さなければ・・・・。

2006年5月10日 (水)

シミのついた楽譜(ギターの話7)

これはギターの話ではないが、6回目の記事でシミのついた楽譜のことを書いた。その訳である。

Araiyakusi 当時、私は大学3年。中野区の笹塚というところから、新井薬師に下宿を代えた。笹塚では四畳半一間の間借りで、下に老婆の大家さんがいて、2階に2人の息子さんがそれぞれ部屋を占有していた。下宿人はだから少なく、私を入れて4人である。

2年目の更新を前に、お婆さんが亡くなられた。それで下宿業をたたむことになり、仕方なく引っ越したのである。

物件を探しているうち、「もっと広い部屋がいい」「日当たりが悪い」などと文句を言っていると、3件目に入った不動産屋の親父がこういった。

「大の男が部屋なんぞにこだわっちゃ駄目だ。仕送りしてくれる親御さんの身にもなってみろ!」

これで目が覚めて、ある汚いアパートの角部屋に決めた。その親父さんにはいまでも感謝の気持ちでいっぱいである。「日の出荘」の看板がかかっていた。

ところが、棲み始めて半年後だった。暮も押し迫った12月28日、私は帰省した。我が家に着いたとたん、大家さんから電話がかかってくる。なにやら言いにくそうだった。

「・・・誠に申し訳ありません。アパートが火事になりました」。正月も帰らないと聞いていた友人Hに電話し、現場にいってもらった。正月気分は吹っ飛び、元旦に上京した。

火元は隣の部屋だった。小火ですんだが、運悪く火元の部屋の壁に書棚があり、大事な楽譜はびしょぬれで、薄く焦げたのもあった。

30代半ばと思しき火の主は私の部屋をノックするなり土下座し、「栃木に妻子を置いて仕事をしているので、これで勘弁してください」、と裸の5千円札1枚を置いて逃げるように去っていった。信じ難い感じがしたが、私は黙って聞いているだけにした。

貴重な楽譜を日干しにして乾かし、なんとか使えるまでには復元できた。焼け爛れた楽譜を見ると、あのときを思い出す。

「日の出荘」から、火が出るのだから、シャレにならない。

大家さんはもう1件アパートを持っていて、希望者にはそのまま入居させてくれた。当然、敷金などはなしである。私は世話になることにした。

で、そのアパートは「第2日の出荘」といった・・・・。

2006年2月 6日 (月)

楽譜について(ギターの話6)

 仕事が一段落したので、4ヶ月ぶりにギターケースを開けた。ご承知のとおり、クラシックギターは弦を爪弾くほうの指の爪がある程度伸びていないと弾けない。調子が戻りかけたと思ったら、爪にひびが入ってしまった。1本でも指の爪が欠けると弾けないので、生え揃うように全部切ることになる。これで2週間は弾けないと思うとがっかりした。

私の場合、爪は薄いほうなので、ちょっとぶつけるとすぐに割れてしまう。今度も100円ショップで買った透明のマニュキュアを塗って凌いだが、結局はがれてダメだった。今度生え揃ったときは、前々から聞いていたアロンアルファを塗って頑強な爪を作ってみようと思う。

ところで、楽譜の話である。音楽の基礎を学んでいないので、まずシャープやフラットがついた曲は弾きづらかった。そこで考えたのは、どんな楽譜でもハ長調だと考えて、弾くときにどの音が半音上がる(下がる)のかを、あらかじめ楽譜の隅に書いておくのである。

シャープやフラットは五線譜上に記されてあるので、そこの音が半音上下することは言うまでもない(と言っても、このことを知らない人は多い)。

mateki これは、先に紹介した、F・ソルの名曲、通称「魔笛」だが、シャープが4つもある。ということはハ長調と比べると、ド、レ、ファ、ソの4つが半音上がるということで、弦を押さえる場合はその音を押さえる場合は通常に比べてプラス1フレットということになる。

しかし、慣れるまでは大変だ。この曲などは変奏曲だから、ホ長調からホ短調に変わりシャープが1つになる。

この楽譜は色々書き込みしていたのだが、いま見返すと既に消したのか、それほどでもない。マルで括ってあるのは、難所の部分やアクセントを聞かせたりする個所である。そこだけ余計に時間を割いて練習した、その跡である。

楽器の初心者は、やはり楽譜に忠実でなければならない。何回も弾いているうちに、画像のようにスッポリ頭の中に入るものである。その時点で初めて暗譜したといえる。

楽譜に愛着を感じないようでは、楽器を楽しむことは難しいと思う。

arabia これは、F・タルレガの「アラビア風奇想曲」。2つの楽譜ともしみが付いている。これには深い?訳があるが、その話はまた次の機会に・・・・。

2006年1月30日 (月)

バッハのシャコンヌ(ギターの話5)

 技術が伴わないのに、先ばかり見る時期がある。ダブルプレーもできないのにジャンピングスローを覚えようとするが如きで、ギター修業の場合もよくあった。平たく言えば「背伸び」である。

バッハに「シャコンヌ」という曲があって、とてつもなく難しいらしい。ソルフェージュの経験がないので、初見で弾けない。だから、曲をまずレコードで聴いて、それから楽譜を買って練習するのが常だった。

セゴビアが演奏する「シャコンヌ」を聴いたが、あまり感動しなかった。これがバッハの最高傑作なのかと、少し落胆したくらいだ。ギター用に編曲されたバッハの曲には、もっと良いものがあると思った。

しかしである。恐る恐る楽譜を見ながら格闘し始めると、何とも言えない荘厳な響きがあって、弾いている自分が感動していくのである。

chaconne 左の楽譜は、独・ショット社の輸入楽譜で、いわば正規版である。これが12ページ近くあり、スンナリ弾けたとしても15分はかかる大曲だ。

3部構成になっていて、ニ短調からニ長調へ移り、またニ短調に戻る。始めのニ短調が一番難しくて、とても指が届かないような個所が1ヶ所だけある。

難所はそこだけではないのだが、とにかくこの曲だけはずーと後になって本格的に練習した。もとはバイオリンの無伴奏パルティータ第2番(BWV1004)の第5曲である。おそらくバイオリンでも(ピアノでも時々演奏される。これはMIDI?)難曲なのだろう。

聴くよりも弾いたほうが楽しい曲というものがあるが、これなどまさにその部類である。弾き始めたその瞬間から、素人の小生でさえ、どこか神聖な気持ちにさせられる。

2006年1月28日 (土)

オスカー・ギリアのこと(ギターの話4)

 私が10代のころのクラシックギターの名手といえば、A・セゴビア、N・イエペスが双璧で、J・ウィリアムス、J・ブリームの英国勢がこれに続いていた。

(セゴビアはすでに老境に入っていたが、なんと80歳前後になって子供を授かったのにはビックリした。50歳くらい年下の教え子だったと思う。)

それはさておき、彼らに増して忘れられないギタリストは、オスカー・ギリアである。Ghiglia

1967年前後だったと思う。パリの国際ギターコンクールで優勝し、LPの発売に合わせてコンサートのために来日した。NHKの音楽番組にゲスト出演し、「アルハンブラ」(リピートなし)、「ドビュッシー賛歌」の2曲を弾いた。

それから、1ヶ月も経たないうちにNHK教育で、1時間あまりのスタジオ演奏番組があった。曲目は、ソルの練習曲第19番(セゴビア編)、アルベニスの「マジョルカ」、グラナドス「ゴヤの美女」、ヴィラ・ロボス「練習曲第11番」などである。

40年近く経っても、こうして曲名まで覚えているのは、深い感動に陥ったからである。ギリアが奏でる音色は、窮屈で抑制の効いたものだったが、それが得(え)も言われぬ響きとなって、聴くものの心を揺さぶるのである。

これも従兄がテレビにマイクを突きつけて録音してくれていたおかげて、何百回と聞いた。上記の4曲はどれも名曲だが、「マジョルカ」と「ゴヤの美女」でのピチカートは絶品だった。

3年前に来日したとき、初めて生の音を耳にした。既に日本でも多くの門下生がおり、巨匠の風格だったが、演奏は少し不満が残った。小学6年のころの新鮮な印象を追い求めるのは、本人にとっても酷な話だろうが、「マジョルカ」をアンコールに弾いたのは、本人もお気に入りの1曲なのだろう。

ジュリアン・ブリームも印象深い。bream ブリームもNHK教育で演奏番組があったが、こちらはコンサートの収録だった。このときの演奏で覚えているのは、M・ジュリアーニの「大序曲」。ブリームは自分で編曲もするせいだろうが、曲の解釈が素晴らしい。

この曲は練習をすれば弾ける曲だが、ブリームの演奏がベストである。コンサートでは、淡々と弾くタイプなので、CDなどで鑑賞するほうがいい。

私はLPを2枚持っているが、「大序曲」は「クラシック・ギターの至芸」というタイトルのLP(CD)に収録されている。もう1枚は「バロックギター名曲集」(だったと思う)。これも名盤。バッハのニ短調プレリュードとイ短調フーガは聴きもの。ヴァイスの「ファンタジー」も素晴らしい。

2006年1月25日 (水)

村治佳織サマ(ギターの話3)

 5年前だったか、なけなしの金をはたいて外国製の手工ギターを買った。俺もとうとう、こんな楽器を手にすることができたかと、感慨無量だった。これには余談がある。

このギターを買った店で、偶然にも、あの村治佳織 チャンmurati がマネージャーと思しき男性と店に入ってきた。

得意になって品定め演奏をしながら店主と談笑していた私は、妖精のように美しい佳織 チャンが、バリバリと弾きまくるので、どれを買おうなどという気持ちは一瞬にして吹っ飛び、興奮と緊張で冷や汗を流した。

 そこに店主が「あの村治佳織さんですよ」と、私を引き合わした。「そんなこと、分かっとる!」と言いたかったが、こちらも大人のおじさんだから、体面というものがある。

 努めて冷静に会釈すると、彼女も弾く手を休めてこちらに軽く会釈を返した。なんと気さくで礼儀正しい子なのでしょう! あの可愛い笑顔はいまでも忘れられない。こんなプロの前でとっかえひっかえ弾き比べなど、できるものではない。ホウホウの体で出直すことにした。

 そのとき買おうとしたのが、あらかじめネットで調べた100万円のギターだったが、思ったほど気に入らなかった。思い直して再度店を訪ねて買ったのが、いまのギターである。佳織チャンが「それを弾くのは100年早い」と教えてくれたのかもしれない。

2006年1月23日 (月)

阿部ガットギター(ギターの話2)

 NHKのギター教室を見ながら、必死に練習したのは小学6年のころである。壊れたギターをくれた従兄は国立大学の哲学科に入り、新しくギターを買った。河野賢氏の5万円の手工ギターで、大きくて美しい音が出る。

 河野ギターは日本人で初めて、パリ国際ギター製作コンクールで第1位を受賞した名品であり、また河野賢氏は我が国初の本格的なクラシックギター専門誌を発行する現代ギター(ずーっと愛読しておりました)社を設立した、業界の大立者でもある。

私が親からやっとの思いで買ってもらったのは、全音という音楽出版社が出していた「阿部保夫ガットギター」(15000円)で、最初はこれでも大満足だったが、河野ギターとは比較にならないくらい音は小さく、しかも弾きにくかった。

 そのころ熱中していた曲は、F・タルレガの「アラビア風奇想曲」である。まったくの偶然だが、従兄の家でギター談義をしながらNHKラジオの第1放送を聞いていると、曲名を知らせたあと、いきなりかかったのが、この曲だった。演奏していたのはN・イエペスである。

KICP-8514 クラシックギターの曲は今も昔も放送は少なかった。従兄は、NHKラジオの深夜放送「夜のハーモニー」(だったと思う)を聴きながら、オープンリールのテープデッキにマイクをつけっぱなしにしておいて、ギターの音色ならば何でも録音していた。

「アラビア風奇想曲」のときは、たまたま従兄の家に居合わせたのだが、あまりの名演奏に、1ヶ月ほどうなされた。

---ここまでの演奏ができるには、いったい何年かかるのだろうか? 

私は呆然とした。しかし、思い直して楽器店に行き、この曲のピースを購入した。40年後のいまも大事に持っている。値段は120円くらいだ。

 この曲と、F・ソルの「モーツアルトの魔笛の主題による変奏曲」、通称「魔笛」の2曲をマスターすることが、ギター修行の当面の課題だった。この曲は、断然、セゴビアの演奏に止めを刺す。segovia-collection1

 いま聴くとヴイルティオーソ(名人芸)的な、クセのある演奏だが、「Coda」と呼ばれるフィナーレの最後の2小節のパッセージは、思わず息を呑む。この弾き方をまねて、それこそ何百回も練習したものだが、当然ながら、近づくことはできない。

 どんな楽器でもそうだが、プレーヤーによって向き不向きの曲がある。アルハンブラはセゴビアのほうが美しいトレモロを聴かせるし、同じタルレガの作品でも「アラビア風奇想曲」はイエペス(ただし10弦ギターでなく、一番古い時代の録音の演奏が最も素晴らしい)に軍配が上がる。

 この2つの曲を、鑑賞に堪えるほどの腕前になったと思えるようになったのは、弾き始めてから15年後くらいだっただろうか?

 大学に入った私は、東京・笹塚の4畳半の下宿に2年間暮らした。大家さんの息子さん(私より3つくらい年上で、漫画家志望だった)が、「近所中で上手いと評判だよ」と言ってくれた。とても嬉しかった。

 現金なもので、褒められると一層研鑽を積むようになり、受験中に忘れかけていた曲をもう一度おさらいした。このころ使っていたギターは、実は兄嫁のもので、とても良い音を出した。

「これは、俺くらいのテクニックがなければもったいない楽器である」などと兄嫁を騙して、東京に持っていった。たしか一柳さんという名匠の作だったと思う。ichiyanagi80_zentai

左の作品は、ご子息の手になるものではないかと思う。楽器の製作家は世襲が多く、ギターもその例に漏れない。長年愛用していたが、10年で壊れた。そもそも使い始めたころに、兄が先端部分をぶつけて自分で修理したのだが、そのひびが大きくなり、弦を張ることができなくなったのである。(続く)

2006年1月22日 (日)

郷愁のショーロ(ギターの話1)

 ギターを弾いたのは、小学4年のときだった。8歳年上の従兄が遊びに来て、壊れたギター(正確に言えば、本人が八つ当たりして壊した)を持ってきて「お前にやる」と置いていったのが始まりである。

ひょうたんの形をした胴体の下半分がぶち切れていたが、なんとか音は出た。しかし、弦の張力に耐えているのがやっとの状態で、フレットと弦の間が1センチ近くあり、押さえるのにひと苦労した。

当時クラシックギターといえば、ルネ・クレマン監督の名作「禁じられた遊びD110495470 のなかでナルシソ・イエペスが弾いた「愛のロマンス」が大ヒットしたため、日本でも一大ブームだった。

私もこの曲を通じてクラシックギターの虜になった一人である。少しギターをかじった人が、「禁じられた遊びなら弾ける」と口にするが、人に聞いてもらうには、2.3年の修行では無理である。

そんな人が「アルハンブラ(の思い出)も少し・・・」などというのは、言語道断である。クラシックギターは大変難しい楽器である。それなのに、なぜこうも簡単だと誤解されるのか、いまもって分からない。

 当時(1965-1970)はNHKの教育チャンネルで「ギター教室」が放映されていた。まともなギター講師もいない田舎では、この番組が唯一の研鑽の場だった。講師の阿部保夫氏、京本輔矩氏はいい先生だったが、寿楽光雄氏はとてもプロとは思えなかった。

 おそらくカメラの前で緊張していたのだろうが、私でもスイスイ弾けるテーマ曲(サンスの「カナリオス」だったと思う)をまともに演奏できたことがなかった。

 その後、ずいぶんあとに荘村清志氏が講師になったときは、第2のクラシックギターブームだったように思う。荘村氏が弾くギター教室のテーマ曲はとても趣味が良く、なかでもA・バリオス作曲の「郷愁のショーロ」は絶品だった。TOCE-55771 (続く)